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Session 5 : 天皇論とやおい
小谷真理・野阿 梓
- 野阿
- えーっと、わたくしですか。はっきり言って迷惑してますね。
- 小谷
- 迷惑ってなぁにぃ?
- 野阿
- いや、有りがたいとは思ってるんですけども。一応、そういっておこう……。もちろんクズSF論争に私は関わりましたけれども、それは積極的に自らの意志で関わりましたから、それについては別
に問題ないんですけれども。ここに掲載されたのは、実は、巽孝之とか小谷真理が――青土社という版元があって、そこが、最初は詩が中心だったんだけど誰も詩なんか読んでなくて特集だけで買っている<ユリイカ>っていう雑誌とか、現代思想を論じる名前も<現代思想>っていう雑誌だとか、<imago>っていう――これは何で始まったのかわかんないうちに終わっちゃった雑誌とかがあって――
- 小谷
- うん、終わってるね。
- 野阿
- イマーゴは、精神医学関係のやつだとかを論じているらしい。ほとんど特集号以外買ったことないから、わからないんだけれども、そうやって3つくらいの雑誌が出てて、彼らはそれの編集顧問みたいなことを一時期やっていたらしいんで、そこで企画担当みたいなことをやってたんだろうな、きっと。良く分からないけれども。
全部に渡ってやってるわけじゃないだろうけど、何か面白そうなネタがあったりしたら、例えばメタフィクション特集とか何かがあったりしたら、「巽さん、こんなのやりたいんですけど、どういうふうな人選がいいでしょうか?」みたいなことを編集者が聞いていたらしいんですよ。で、そういうときに、ナゼか、私のところに話が来るんですよね。
- 小谷
- 友達売っちゃった。
- 野阿
- ま、確かに売られたわけで。あの、私は小説を書いているプロの小説家、SF作家なんで、別
段評論とかは本分じゃないし。何て言うのかな……。だいたい、表面上は巽くんは書面
では私のことを誉めるんですけれども、裏にまわっては――いや、裏じゃないんだな、電話かなんかではもうボロクソに、けなすわけですよね。
- 永瀬
- 本性です。
- 野阿
- 別に友達だからいいんだけどもさ、たとえば年表に出ている「スコッティは誰と遊んだ?」っていう伊藤典夫さんの論争がちょっとあったんですけれども、その時に私がバカな文章を<SFマガジン>に送ったんですよ。
それを書き上げてから送る前だったと思うんですけど、巽くんのとこに電話をして、「小説家というのは嘘を商売にしている人間なんだから」っていうようなフレーズを使ったっていうことを言ったら、「そんなことは過去にさんざん言い尽くされていることを、二度手間三度手間で、野阿が言っているだけで、何の斬新さもない。要するにスコッティの論争に野阿が加わったっていうことは、自分ですら加われるくらいの程度の低いものをようやく見つけて野阿が喜び勇んでそこに食い込んでいっているだけじゃないか」というようなことを、電話でゴチャゴチャ言うんだよなあ、こいつはあ!(場内爆笑)
- 司会
- 私に話していただいた話とはだいぶ違うようなのですが。
- 永瀬
- でもさあ、野阿梓という作家はさあ、作品はああだけれども、
- 野阿
- ああだけれども、って何なんだよお!
- 永瀬
- 実際の本人の言動っていうのはものすっごい常識人というかですね。
- 野阿
- そうですよ。
- 永瀬
- 悪い意味でも常識人って言ってるんだけど、その落差というのがなかなか面
白いんですよ。
- 野阿
- だから私はあんまり関わりたくないんだけれども……
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- 巽
- 野阿梓というのは、建前が大事だから。
- 永瀬
- でも、『論争史』収録論文のカップリングのしかたが凄いじゃないですか。天皇制とやおいですよ。野阿梓という作家を論ずるにあたってこれほど素晴らしいテキストはないというか。
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- 野阿
- 二つを一緒にしないでくれぇっ! あなたの話を聞いていると、読んでない人は、私が、天皇制とやおいを同時に論じたみたいに受け取れるじゃないかぁ!
- 永瀬
- 天皇制とやおい、この二つでもう野阿梓を論じられる。(場内笑)
- 野阿
- これは解説がいるな。私が、そのー、しょうがないから引き受けた「ジャパネスクSF試論」というのでは、これは言わなきゃいけないなと思ったことと、いい足りなかったことがあって。まず要するに、私は<小松左京>でSFにのめりこんだっていう世代なんですよね。これは、ちょっと私より上の世代になるけど、笠井潔さんなんかも、要は小松左京なかりせば、別
にSFにここまでずぶずぶと足を踏み入れることもなかっただろうと思うわけですよ。
けれども、笠井さんも同じだが、では、小松SFを全面的に受容していたか、っていうとそうじゃないんだよね。何かそこに足りないもの、そこには欠落しているものがあるからこそ、自分で書き始めたんだっていうことがある。
それが何であるかっていうのは良くわからなかったわけ、最初の頃は。だけどまあ、10年も20年もやってれば少しは、自分の来し方を振り返ることくらいはするから、何だったんだろうな、っていうふうな想いが「ジャパネスクSF試論」なんですよ。で、「ジャパネスクSF試論」の中で一番最初に上げられているのは、半村良先生の『産霊山秘録』なんですよ。
- 巽
- これはね、山野=荒巻論争へのコメンタリーとしても面白い。
- 野阿
- そうなの。で、そういう読み方をするために――枚数制限っていうのがあったから省いちゃったんで、本当は『産霊山秘録』が第1部で、第2部が『首都消失』。で、第3部がですね、本当は山野浩一先生の『花と機械とゲシタルト』っていって、ほとんど読んでいる人が少ないんじゃないかと思われる傑作。第四部で論じるべきだった私の『バベルの薫り』のモトネタなんですよ。で、第四部としてその『バベルの薫り』を論じるつもりだった。宣伝もかねてね。
『花と機械とゲシタルト』は、パラコンパクト空間という、最新の数学理論を駆使し、なおかつR・D・レインっていう、これはエヴァンゲリオンの「好き好き大好き」で有名になっちゃったんだけども、反精神医学っていうものを提唱した――要するに、精神病っていうのは医原病であるみたいなことを提唱しているユニークな精神医学者なんですけれども――、それを準拠枠にして反精神病院ってものを作って、そこでどういう治療が行われているかっていう作品だった。
『花と機械とゲシタルト』では、反精神病院の中央のロビーに「我」という人形があるんですよ。そこで患者たちは全部「汝」なんですよね。精神病の人たちっていうのはセルフっていうものが、自己イメージっていうのが分裂しているわけだから、自己イメージの分裂しているのを対外的に社会生活と折り合わないからだんだんおかしくなるわけで、「我」っていう人形に全部自分の分裂したイメージの半分を預けちゃうことによって治療をするっていうふうな。だけどそれはだんだん無理が出てきて、更にそのパラコンパクト空間なんていうわけのわからないものが出てきて、その病院は崩壊してしまうという話だった。
それで、これは、私にとっては直接、天皇制批判だった。天皇制論だったんですよね――その「我」っていう人形と、それが崩れていくっていう過程が。で、そういうことを書こうと思っていたら、枚数制限があるんで、はぶいちゃった。でも、後で聞いたら。同じ特集じゃなかったんだけど、編集者から全然電話が来ない状態があって。青土社のね。で、前後するけど、まず、巽だったか小谷だったか忘れたけれども、メタミステリだったかな、これこれこういうネタがあるから頼むわね、と言ってきて。
- 小谷
- あ、あたしだ。
- 野阿
- しょうがないから、って書いたんだけど、編集からの催促っていうか、正式な依頼状も来ないわけ。で、原稿は早々と書いちゃったんだけど、どうしようかな、と思って。私は正月っていうか暮れに、年賀状の片隅にその特集のメタミステリの中心人物でもある笠井潔さんに「ユリイカか何かに頼まれたらしいんだけど、何にも編集から言ってこないんですけど、どうしたんでしょう?」って書いたんですよ。そしたら、笠井さんから電話かかってきてさ、「そんなことはないはずだ、いま出ている号の予告にあんたの名前が載っている」って(笑)。(一同爆笑)
それで、「早急に手を打つから」って。で、笠井さんから編集の方に電話があったらしくって、次の日だかに、編集の方から電話があって、「いやー、すいませんねー、小谷さんあたりと何度も打ち合わせしているうちに、つい頼んだ気になってしまいまして」(笑)
- 永瀬
- あの、枚数制限の話ね。
- 野阿
- そうそう。だから、そこで枚数制限の話をしたんだよね。そしたら、その編集長が、「あー、いやー、うちは誰も守らないですから」って言うんだよ。
- 永瀬
- うん、あそこね、20枚の約束で大体40枚くらい大丈夫よ。
- 野阿
- 私、それ知らないからさあ。やっぱり省くんじゃなかったなあ、と後で思ったんだけど。
- 永瀬
- だって、ページ数見てみなよ。毎号ページ数違っているから。
- 野阿
- よくそれで雑誌が出るよなあ。
- 永瀬
- 最後の手段として広告ページ出します。
-
- 野阿
- 毎月出るってのが不思議だな。とにかく、そういうふうなモティヴェーションで――『花と機械とゲシタルト』は落ちてしまったんだけれども――そういう天皇制っていう切り口であれは書いたんですよね。もう一つの、<やおい>っていうのは、まあ、何にだったか忘れちゃったけれども、やっぱり巽・小谷の両陰謀によって、私が乗せられたような形で……
- 巽
- それが<ユリイカ>の方だったんですよね。
- 野阿
- 何にせよ青土社から来た仕事とか図書新聞あたりから来た仕事は、かならず背景にこの二人が関わっているんですね(笑)。
- 永瀬
- もうひとつ、ほら、省いたやつで『首都消失』が出てきましたよ。
- 野阿
- それは省いてないよ。
- 永瀬
- いやだから、この中でほら「物体O」の名前が出てくるけど。
- 野阿
- 「アメリカの壁」と「物体O」がネタモトになってるからね。
- 永瀬
- これ、文章の方で単行本なんかに入れてないんだけど、ふっと気が付いて<宇宙塵>の古いやつなんかを見ながらですね、年代をチェックしたら、『日本アパッチ族』と『復活の日』と「物体O」、それからSFM誌上での『果
てしなき流れの果に』の連載開始は、間が1年半ないんですよね。
- 野阿
- 65年くらいかな。
- 永瀬
- 小松さんっていうのは、「だからスゲえ」っていうのは、それだけまったく違うような系列が全部日本SFの原点になっていることだよね。
- 野阿
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- その次が『エスパイ』じゃなかったかなあ。
- 永瀬
- ここまで豊穣なんだから、『日本沈没』で小松さんもねぇ、とか知ったかぶりで言ってる人はね、ちゃんともう一度読み返してみなさいって。
- 野阿
- 65年から72、3年ぐらいだっけ? あのあたりの駆け抜けかたっていうのはねえ、私の個人的なSF史になるんですけども、私はたぶん、翻訳SFっていうものを、パースペクティヴの上で順々に受容していたおそらく下限の世代だと思うんですよ。私より年の下の人になると、もう判らなくなっている。これは、われわれの年代だと、たとえばテレビが自宅に来たことを憶えている最後の年代って、あるでしょう。だけど、私より下の世代になるともう物心ついた頃にはテレビは家庭内にあった。
SFも同じで、私の世代ぐらいだと、順々に訳されていったものを覚えている。たとえば330番代で創元の推理文庫から『暗黒星雲の彼方に』とか『73光年の妖怪』っていうのが、ちょっと試験的に、テストパイロット的に出されたんですよ。それが「受ける」って思ったんでしょう、SFジャンルが分離して、初の701号が『火星のプリンセス』ですよ。それが、私が小学校の4年か5年くらいだったと思う。で、初めてその時に、表紙にカバーがついて。それまで、文庫って表紙にカバーがついてなかったのよ。で、カバーがついてカラーの口絵があって中にイラストがいっぱいあるっていう、ある意味、いま非常に差別
的にとらえられているヤングアダルト系の原型を作ったようなものがそこに登場して。それまでそういう文庫の形態ってなかったんですよね。
- 永瀬
- これ、創元の人間に確認したことがあるんですけど、文庫にジャケット、カバーが付いたのは創元社のジェームズ・ボンド・シリーズあたりが一番最初。その流れでSFの方はほとんどがジャケット付きなんですよね。
- 野阿
- ジェームズ・ボンドは憶えてないけど、とにかく、それで洗礼を受けた口なんですよ。そうすると、その次ぎに来たのが『レンズマン』ですよ。これは私が小学校から中学校へ上がるくらいの年。で、中学2年くらいになると、もうバラードが出てるのね。
で、この『火星のプリンセス』ってさあ、まだSFなんて言葉がなかった頃に書かれた、つまり、プレSFなわけ。次のE.E.スミスは、要するにSFの黎明期なわけ。さらに、それに対するアンチテーゼとして出たバラードを、3年後には、もう私、読んでいるわけですよ。そうすると、凝縮した形で全部――。
- 永瀬
- 3、40年の歴史がね、2、3年で――。
- 野阿
- それを全部、浴びるが如くこう、吸収していって……
- 永瀬
- 後遺症が生じるんですよ。
- 小谷
- 後遺症?(笑)
- 難波
- いたいけな青少年にとって、SFというジャンルそのものがですね、他の思想よりも素晴らしいものだと勘違いしてしまうというね。
- 野阿
- え? 違うんですか?(笑)
- 難波
- 今でも憶えているんですが、柴野さんに言われたのは「あなたたちの世代はまずレンズマンや『火星のプリンセス』から読みはじめられていいですねえ」って(笑)。
それって逆に言うと、そういうものっていうのは、戦後のスペースオペラ論争になっちゃうけれども、程度が低いものとして出てこなかった。やっぱり、福島さんは最初に「大人のものとして出すんだ」という明確な理念があったから。それが、僕らが読めるようになったっていうのは、つまり、そういう、今のスタイルを作った、子供でも読めそうなものっていうのが出てきたっていうのは、先程の青少年ファンダムの形成に密接に関係あると思いますね
。
- 永瀬
- 野田さんがスペースオペラ的なやつの紹介っていうのを初めてされたのは、<宇宙塵>の方ですよね。
- 柴野
- 本格的には<SFマガジン>なんですね。<映宙塵>でも「SFつれづれ草」っていう題で向こうのスペースオペラの素晴らしさみたいなのをいろいろ書いて下さってますけれども。キチンとした形では<SFマガジン>連載の「SF英雄群像」ですね。
- 永瀬
- あれは何年くらいでしたっけ?
- 野阿
- 南山さんになってからだった?
- 永瀬
- 「SF英雄群像」は福島さん編集時代ですよ。
- 司会
- 福島さんが辞められたのは72年?
- 野阿
- いや、違う、69年。
- 難波
- よく憶えてるね(笑)。
- 野阿
- これは、非常にこの論争史に関わるんですよ、その年代が。
- 永瀬
- 福島さんの方針なら排除されているはずの野田さんの系譜は、もともと柴野さんの<映宙塵>がきっかけになっていたはずなんですよ。これは昔、石川蕎司さんにお聞きしたのかなぁ、半村さんの「赤き酒場を訪れたまえ」っていう『石の血脈』の原型になったやつ、あれは、掲載された時には南山さんが編集長なんですけど、依頼したのは福島さんなんですよ。福島SF路線やなんかを、否定する、というか、と違う系統の物語っていうのは、やっぱり火をつけているのは福島さんなんですよね。今、お話に出た柴野さんにしろ福島さんにしろ、こういう論争的な格好あたりやなんかの、一種建て前というか、そのへんのイデオロギーとは別
に、編集者としての見識は、やっぱりあの頃の方々っていうのは後で聞いてみると、っていうのはありますよね。またよいしょなんですけれども(笑)(永瀬註。<SFジャパン><荒稿指試姿雌>2001年春号の南山宏=森優さんの証言によれば、事情はまったく逆とのことである)。
Session 6 : 女性SFファンの場合は
小谷真理
- 司会
- そろそろ時間もなくなってまいりまして、最後の小谷さんの方にやっと……さっきから機会をうかがっていたんですが(笑)。
- 小谷
- そうですか(笑)。実はですね、『論争史』には「ファット/スラッシュ/レズビアン」というのが収録されているんですけれども、本来だったら、もっと違うものが載るはずだったんです。
- 巽
- 国文学者キース・ヴィンセントとのやおい対決。
- 小谷
- 彼はゲイでやおい批判をしていた。わたしはやおい擁護派で、その論考は<ユリイカ>に掲載されたものだった。でも、枚数の都合で割愛されちゃって。
- 野阿
- それじゃ、なんなんだよー、これは。
- 小谷
- わたしはもともと保守派なんだが。
- 野阿
- 本人だけはコンサバのつもりで(笑)。
- 小谷
- あのねっ、私はだから保守的な人間で、もうアシモフ、ハインライン、クラークOK。バラードはちょっとねー、みたいな(笑)。梅原さんとちょっと趣味似てるんだよね。
- 野阿
- 仲良くしたらぁ?(笑)
- 小谷
- それで、……えーと。もういいや、だいたい私、そんなに論争好きじゃないのよ。
- 野阿
- 嘘つけ!(場内爆笑)
- 小谷
- 本当っ!これは本当の話!
- 野阿
- ここまで来て何をほざくんだっ、こいつは(笑)。
- 司会
- 参考までに聞いておきたいんですけど巽さんは論争好きですか?
- 巽
- いや、まあ、何というか。
- 司会
- あまり好きじゃない?
- 巽
- うーん、だから、やむにやまれずっていうのしかやってないよ。
- 野阿
- だれか、なんか、こいつらにぶつけるものをくれよ。
- 巽
- やむをえない事情があって、きちんとした建前が成り立つ場合だけ、おずおずと引き受ける、というか。(場内爆笑)
- 小谷
- あの人はね(と、巽の方を指さしながら)、やっぱバトル好きなんですよ。私は、叩かれた時に始めるけれども、自分からちょっかいは出さないんですよね、絶対。
- 野阿
- 私だってそうだよ?
- 小谷
- 相手は相手。私は私。
- 難波
- 論争は嫌いだけど裁判は好き(笑)
- 小谷
- あれはよく知らない人にへんな言いがかりつけられて、しかたなく・・・。
- 野阿
- とりあえず相手に先に手を出させて、それで、倍返しでぶんなぐるんですよね〜。
- 難波
- プロのケンカのやり方ね(笑)。
- 小谷
- あのですねッ、私は保守的な人間なので、SFの父である柴野さんを心から尊敬しているんですよね。
- 野阿
- あなた、いまさっきの発言で全部、信憑性がゼロになっちゃってるよ(大笑)。
- 小谷
- だってこの「人間理性の産物が人間理性を離れて自走することを意識した文学」って、私に言わせると、「男理性の産物が男理性を離れて自走することを意識したフェミニズムSF文学」ってちゃんと読めるし(一同笑)。それで昔、私が最初に浮かれてコスプレをした時に……ただ単にアメリカのファンが、ポール・アンダーソンの娘ですけどね、アストリッド・アンダーソンが『火星のプリンセス』のコスプレをしたっていうんで、面
白ーい、私もやりたーいとか思ってコスプレをしたんですよ。そしたら、すっごいめちゃくちゃ叩かれたわけ。それは向こうから手を出したケンカだったんですよね。ところが、その時私は何も武器がなくって。
- 永瀬
- あのさあ、叩いたの誰なの?
- 小谷
- いやあ、有象無象、って言っちゃ悪いんだけど(笑)。
- 野阿
- 個人名出していいよ、個人名出して(笑)。
- 小谷
- うーん。名前も顔も憶えていないTOKON8のスタッフ。
- 永瀬
- 正直、違和感があったのは間違いないよ。ほとんど初めてだったから。ただ、叩くって周辺にいたかな、と思って。
- 小谷
- だからね、私たちがコスプレをしていたTOKON7,8っていうのがあったんですね。で、私は二回……。あ、違うわ、私はアシノコンでやって、TOKON7でやって、TOKON8っていうのは演出側に回ってわたしの属していたローラリアスのメンバーでやっていたのね。それでその時に、スタッフがコスプレっていうと、わあっと寄ってきて楽しむんですよ。見る時はね。だけど、コスプレやる人々と友達となりたくない、こいつらSFを読まないただの仮装変態集団だろっていう意識を露骨に表すスタッフがものすごく多かったわけ。もちろん、そういうことを言う人々はウチの同人誌なんて読んでないんだろうけどさ。
- 永瀬
- でもさあ、アシノコンって。
- 小谷
- 話を最後まで聞いてくれよッ!(場内爆笑)
-
- それでね、皆楽しんでくれたのに何でこんなに、いじめられるの?って思ったんだけど、その時に柴野さんが「何故コスプレなのか、考えたことあるか」ってなことをおっしゃったんですよ。それを私は真摯に受け止めて宿題だと思ったんですね。当時は何も考えてなかったんで。それで、それから20年後を見てろよ、って思って、今の私があるわけ(笑)。
- 永瀬
- でもさ、その物語美しいけどさ、アシノコンって大阪芸人が実質デビューした時だしさ。
- 小谷
- (無視して続ける)それでこの、「ファット/スラッシュ/レズビアン」っていうのは、それから始まってコスプレもそうだったし、それからやおいもそうだし、あと何があったかな、アニメもそうだったしゲームもそうだったし、ヤングアダルトもそうだったしファンタジーもそうだったんですけど、さっきちらっと世代論の話になってたけど、このSFのカルチャーの中で新しい何か、世代とか人たちが出現したときに、やっぱりSFのコアとの間で闘争が必ず起きるんですよね。それですごい叩かれるわけ。それが一体何なのかな、っていうことを随分考えていたんです。
そんな時にアメリカへ行って、たまたま、あるパネルを見たんですよね。それが「ファット/フェミニズム/ファンダム」っていうパネルだったの。太った人で、女性で、ファンダムの人がいっぱい。SF大会でそういうパネルがあったんですよ
。
- 野阿
- その三重苦みたいな。
- 小谷
- さっ……「3F」って言うんですけどね。それで、行ったら、太った人がたくさんいたんですよ。
- 野阿
- よかったねえ。
- 小谷
- つうか、SF大会って基本的に太った人が多いんですよ。特にアメリカは、な
んですけど 。
- 野阿
- 日本でもデブはいっぱい――。
- 小谷
- (無視して続ける)それからボストンの大会だったと思うんですけど、フェミニズム関係のパネルを全部網羅して見ていったら、自然といつも同じメンバーが集まることになっちゃって、その人たちはトランスジェンダーっていって、要するに、性別
越境の人たち、女装したり男装したりする人、それから明らかに見るからにフェミニストっていう感じの人。
- 野阿
- 見るからにフェミニストっているんですか? 上野千鶴子先生みたいなのかなあ?
- 小谷
- 見ればわかります(笑)。
- 野阿
- 怖い女がいるんだろうなぁ
- 小谷
- それであのー、集まっている人の話を聞いたりしてるうちに、何かここで女性に関係のある何か、文化みたいなのが抽出されているような気がするな、っていうのがこれを書いたきっかけだったんです。
基本的にSFのファンダムって男の人が多いんで。奥さんや子供がいたとしても、すごく独身者的なんですよ。発想とか考え方って。つまり、いつまでも自分たちはSFの少年でいたいっていう部分があるのね
。
- 野阿
- バカですねえ(笑)。
- 小谷
- その中で女性のファンっていうか、女性作家が暮らしていくっていうのは、結構摩擦があるんですよね。目に見えないかたちで。それがね、例えば、異世界ファンタジーを叩いたりとか、例えば太った女を叩いたりとか、コスプレ叩いたりとかそういうところにちらちら見え隠れしてくるんですよ。やおい叩きもそうだったんですけど。そういう女性嫌悪的な共通
項みたいなものがどうもあるなあっていうのがだんだんわかってきて、それを私は知りたい、突き詰めたい、と思って、それが身を守ることだわ、と思ったんですよ(笑)。単なる自己肯定なんですけど。
そういうふうに考えているうちに、最近一つ気が付いたのは、クズ論争以後はっきりしてきたのが、いわゆる文学としてのSFっていう問題と、カルチャーとしてのSFっていう問題がどうも少しずれているということ
。
- 野阿
- それはもう世代論だからしょうがないんだよ。
- 小谷
- SFっていうのは一体なんなんだ、って言ったときにね、たぶん、私が例えばコスプレをやっちゃうとか、ビジュアル系にはまっちゃうっとか、そういうのはカルチャー的なはまり方をしてたのかな、って気がちょっとしたんですね。
- 野阿
- あのね、あのー、時間もないからあれなんだけど、世代論っていうのは確実にあって。第一世代、第二世代、第三世代っていうふうに巽孝之が区別
したことがあったんですよ。で、第一世代ってのは要するに小松さんの世代なんですよ。
小松さんの世代っていうのは――思想的にはどうだか知りませんけれども、柴野さんも属してらっしゃると思うんですけども――やっぱり戦争をくぐった人たちなんで――まあ、戦争をくぐるかくぐらないかってのはまた別
な次元の話なんですけれども、それなりに非常に大きなファクターであって――なにが言いたいのか、というと、彼らの世代には、<文学>っていうものが厳然とそこにあったんですよね。例えば小松さんっていうのは京都大学の文学部出て、さっき言われましたけどもシュールレアリスティックな演劇を専攻されたりなんかして……
- 巽
- ピランデルロ。
- 野阿
- そう、ピランデルロの「作者を探す6人の登場人物」とかいうやつ、そういう素養とかそういったものもあるんだけれども、同時に小松さんが何をやっていたかというと、片っ方ではおそらく共産党の秘密党員だったり……
- 永瀬
- 党員に? なってないと思う。 (永瀬註: なってました、三高時代に。当時は民主青年同盟のような「入門」的組織がないから、活動を始めるということは即入党を意味していたのだ)
。
- 野阿
- いや、多分秘密党員だったと思う(笑)。
- 司会
- すごいなー(笑)。(永瀬註。京大の中庭で革命歌の指導をしていたくらいで、小松さんは京大での党員時代には公然活動をおこなっていた。秘密党員とは精確には、会社などで組合をひそかに乗っ取るためとかで党員であることを隠しているような存在のことを指す。京大の小松さんがらみの文学サークル関係にも職場が活動拠点のために、大学では秘密党員になっていた人物がいた。小松左京編『高橋和巳の青春とその時代』[構想社、1978]
を参照のこと)
- 野阿
- あのー、一説によると山村工作隊に入ってたってのは、さすがに私はデマだろうと思ってるけれども……
- 永瀬
- いや、来るべき革命に備えて、山ごもりして自分で訓練してたんですね。で、党規違反で査問委員会にかけられたという……。あれっ? ってことは入党してたのか。
- 野阿
- まあどうでもいいや、とにかく、今の人にそんなこと言っても、ここにいる5、6人しかわからない話をどうやったって説明しにくいから――とにかく、秘密党員で多分あっただろうと。それで、おそらく京大の中でオルグをしようとしていたはずなんですよ。
これは同時代のハードボイルド作家の三浦浩という人が小説に書いているんですが――京大作家集団っていうのがあって――すっげえこっぱずかしい名前だと自分たちでも言ってましたけれども――それに参加したのが、三浦浩さんと、小松左京さんと高橋和巳さんとあと何人くらいかいたんですけども、そういうところでやっているから、自分たちがやってるのが文学であるっていうことは、彼らには、もう自明なんですよね。で、当時は文学ってのはどんなものがあったかって言うと、野間宏だとか、埴谷雄高の「近代文学」なんかの連中だとか、とにかく、大人として戦争をくぐってきたヤツが始めた文学ってのが目の前にあるわけ。それに対して戦後どっと入ってきた、例えばカフカだとかカミュだとかサルトルだとか、そういう実存がどうだとかこうだとかって、もう、今の現代思想と同じなんですけど、流行りもののように入ってきたものとぶつかってる。そこで、「文学とは何だ」とかね、「飢えた子供の前で文学とは」どうのこうのだとかいう設問があったりして、そういうふうに文学は自明のものなんですね。
ところが第二世代の、豊田有恒さんとか平井和正さんとかだと――例えば平井和正さんなんかは中央大学の白門文学にいらっしゃったわけだから、当然「文学とは何か」っていう設問に相対峙しておかしくないんですけれども、私から言わせると、おそらく「文学とは何か」という設問が、切実なものとしては、彼らには、もうないんですよ。あるいは、制度としての文学になっちゃってる。制度って言うのは要するに文壇みたいなもの。第二世代っていうのはそういう世代なんですよ。
さらに、第三世代のわれわれってのは何かっていうと、文学そのものがもう何もないんですよね。だから、彼女(小谷氏)の言ったように、SFとは何かっていうようなものは、文学とは対峙できないの。もうカウンター・カルチャーになっちゃってるんだよ。
- 柴野
- あのー、その言い方だと私、第三世代だ。
- 野阿
- それはちょっと無理が。
(爆笑、拍手)
- 野阿
- だから、彼女(小谷氏)が私より4つくらい下だから、なおさらそういう第一世代、第二世代が共有できたかも知れない文学っていう制度との対峙っていうものがまず始めから、ない。それから彼女をバッシングしている連中もおそらく、そういうふうなものはないと思う。……あなたをバッシングしたのが誰か、っていうのは、だいたいわかるんだけれども(笑)。
- 柴野
- あの私、「何故コスチュームか、何故マスカレイドか」っていう、どういうつもりで言ったか自分でわからないんですけれども、私、答えわかってて言ってんですよ。あの、楽しいからやってんでしょ? それでいいと思うんだけれども、そんな宿題になっちゃってて何かほんと申し訳ありませんでした。
- 野阿
- いやー、その一言があったからこそ、こうやって小谷真理は評論家になったんですから。
- 難波
- 今ここで20年間の疑問が解けた(笑)。
- 小谷
- (感涙にむせぶ真似、場内爆笑)
- 永瀬
- 今のね、文学云々の話で、ポップな小説にあるみたいな格好で言っちゃうと、広い意味でのファンタシーに近いようなポップな小説ジャンル、それぞれサブじゃなくてジャンルとしてわかれてるやつって、日本の場合はみんなSFの方から始まってるんですよね。いったん今で言ういわゆる幻想文学みたいなものをもう一回再出発してて。そのへんでわりと若い世代の方は実感できないと思うけれども、荒俣宏さんってもともとSFの人だったんですよって。
- 野阿
- 団精二。
- 小谷
- うんうん。
- 野阿
- 例えば、ヒロイック・ファンタジーっていうのは、今はもうファンタジーっていう業界がありますよね。あそこでファンタジーっていう業界からデビューした人は、まずファンタジーは始めからあるもんだと思ってると思うけれども、われわれSF者、少なくともここにいる連中が思っているのは、ヒロイック・ファンタジーっていうのは、鏡明さんと団精二さん、つまり荒俣宏さんが、これは「ヒロイック・ファンタジーもSFなんだ」っていう、「SFのサブジャンルなんだ」っていう無茶苦茶な理屈をつけて1970年に『英雄コナン』を出したときから始まってるんですよ。
- 永瀬
- いや、他にはエイブラム・メリットというものもあるんですけれども。
- 野阿
- でもエイブラム・メリットのインパクトよりは、やっぱコナンのメリットの方があると。
- 永瀬
- 何をおっしゃいますか! あたしゃメリットいのちのヒトですからね。(笑)
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