photo by kohtaro Nakagaki

われわれはなぜエルマイラにいたのか?

 

 2001年8月16日から3日間、ニューヨーク州エルマイラにあるエルマイラ・カレッジ(The Elmira College Center for Mark Twain Studies)にて、第4回国際マーク・トウェイン会議(The 4th International Conference on The State of Mark Twain Studies)が開催された。この催しは4年に一回、行われるもので、毎回、マーク・トウェイン研究センターを置くエルマイラ大学が会場となるそうだ。この地はマーク・トウェインの妻オリヴィアの育った街であり、若かりしトウェインと二人で過ごした街でもある。現在、トウェインの愛用した書斎が学内に保存されており、オリヴィアとトウェインのゆかりの品々もまた学内に展示されている。有名な、トウェインが投機で入れあげた挙句に破産に追い込まれた原因となったページ写 植型タイプライターもここで見ることができる。

 今回は日本人による発表者が5名(関西から永原誠先生、和栗了先生、大宮健史先生、東京から高島真理子先生、そしてテキサス大学オースティン校留学中の石原剛さん。諸々の事情ですべての発表を拝見できたわけではないですが、皆さん堂々としたプレゼンテーションをされていました。他、関西の中川慶子先生、宮本光子先生が参加されました。)

 韓国、ドイツをはじめ国際会議としてアメリカ合衆国以外からの参加、発表も散見されるものの、5名もの発表者を日本から送り出すというのはプログラムの中でもかなり目立った動きである。現在、マーク・トウェイン協会会長を務めるシェリー・フィッシャー・フィッシュキン氏が2年前に京都での立命館大学夏期セミナーにて来日された際に(このセミナーの院生レクチャーにまつわるレポートは深瀬有希子「ハックとかじった檸檬」を参照。[Panic Americana, Vol.4, 1999] 所収)、日本では「マーク・トウェイン研究がブームである」とマーク・トウェイン・サークルの会報 (Mark Twain Circular)に書かれただけのことはある。今後ますます日本からの参加も増えることだろう。

 実は海外での学会参加はおろか、海外に赴くこと自体、ぼくにとっては最初の経験であった。友人がカリフォルニア州サンディエゴにて留学中なので、彼の元に6週間滞在し、せっかくだからエルマイラの方にも足を伸ばすことにしたのだ。せっかくだから、とはいっても、北アメリカをほぼ横断するだけの距離であり、サンディエゴではすっかり生活のあらゆる面 において友人の世話になっていたから、エルマイラ行きは実質一人で行動するはじめてのアメリカ体験になる。サンディエゴからエルマイラまで直通 便はもとより飛んでいない事情もあって、少し手続きが煩雑になるのだが、この旅程も友人の助けで何とかチケットを手にすることができる有り様であった。

 そもそもはニューヨーク旅行も兼ねて、友人と一緒にエルマイラ方面 も周るという案もあったのだが、それ以前の段階のサンディエゴ6週間滞在で、友人の貯金を食いつぶしてしまい、一人での旅行を余儀なくされた。現金を持ち歩くのはあぶないという忠告を真に受けて、かといってアメリカで使える口座を用意することもなく、わずか100ドルほどの現金しか持っていかなかったために、金銭的にも友人にすべてを支えてもらったことによる。おかげでニューヨーク行きの旅行がすっかり頓挫した。ぼくは車の免許も持っていないために、今でもエルマイラ近辺を車で観光できなかったのが惜しまれる。

 しかも、ようやくなじみかけていた西部カリフォルニアともまったく異なる文化圏を、たった一人で行動しなければならない。必然的にエルマイラへは途中いくつか飛行機を乗換えてから向かうことになるのだが、小さな空港ということもあり、目的地のエルマイラ・カレッジの学生寮まで果 たして無事にたどりつくことができるだろうか? 途中、ニューヨーク市内を、ジョン・F・ケネディ空港からラガーディア空港までバスで移動しなければならないのも厄介だ。  案の定、バスを降りる際に、バスのトランクに入れていた荷物を引き取るのに気を取られて荷物を一つ忘れて降りてしまった。しかも貴重品(ノート・パソコン)を入れていたバッグである。

 大慌てでバス会社を探して電話をかけまくる。

 結局、バスが巡回してきたところに無事出くわして自分の荷物を再び手に取ることができたのだが、気勢を殺がれて半日あった自由時間にニューヨーク散策する予定を変更して空港内でおとなしく過ごすことにした。

 ニューヨークからエルマイラには、途中イサカで経由する便を選んだのだが、何と乗客はわずかに5人であった。機内でぼんやりしていると、「一人でエルマイラに行くのか?」と声をかけられる。「誰もいないのか? 一人で大丈夫か?」と言われ、どうやら傍目にも不安に映るらしい。

 そしていざ空港に着いてみたら、見渡す限りどこにもバスもタクシーも見当たらない。狭い空港内外をぐるぐる30分ほど回ってみても同様であった。観光案内所どころか、売店すらなく、すっかり途方に暮れてしまう。意を決して航空会社のフロントに尋ねてみても、係の人たちも顔を見合わせているばかりだ。ようやくわかったのは、タクシー会社に電話をしてはじめて空港前に車を用意してくれるシステムになっているということだった。

 次に今度はいざエルマイラ大学に着いてみたら、大学のどこに行ってよいのかわからない。日本の大学のように、特に正門があって受付があってというものではなく、建物自体を目的地として告げなければいけないらしい。見かねたタクシーの運転手はセキュリティのところまで事情を説明しに同行してくれる。セキュリティの係の人は、今度はぼくをマーク・トウェイン研究センターに案内してくれる。そしてマーク・トウェイン研究センターの人はぼくを寮にまで連れて行ってくれる。まさに皆のお荷物という感じで順繰りに中継され、目的地にたどりつくことができた。ニューヨークで荷物を失くした時といい、エルマイラでの人たちといい、ほとほと出くわす人々の親切が身にしみた。

 いざ国際マーク・トウェイン会議がはじまってみると、高度に専門的な学会発表ももちろんあるけれども、日本におけるものよりも作家を愛好する者同士の集いといった色彩 が強く、参加者の中では学生然とした者も珍しいこともあって、いろいろな人たちに話しかけてもらえた。同じ作家を研究していることもあって、自ずから自分の関心についても詳しく説明しなければならない。だからちょっとしたやり取りであっても、興味深い反応を引き出すことができ、有意義な一時を過ごすことができる。

 催しも趣向が凝らされていて、バスで近くのゆかりの地などを訪れるプログラムなども組まれており、決して聴衆を飽きさせない。プログラムは朝からはじまり、深夜の映画上映にまで及ぶ。パネルは3日間で8つほど行われ、その他に研究発表(セッション)や小人数でのディスカッションも用意されている。パネルのテーマは、それぞれ身体論、交遊関係、国家論、ナラティブ、ユーモリストとしてのトウェイン、世紀転換期……など、今日的な関心を織り込みながら、様々な角度から「トウェイン研究の現在」が窺える。また、ディスカッション・グループでは、「実際に個別 の作品を教室で教える」にあたり、どのような問題点が生じるかを話し合う話題に注目が集められていたようだ。そして最後の全体でのパネル・ディスカッションとして、「マーク・トウェイン研究の将来」をテーマに論じ合うことで今回の大会は幕を閉じる。

 普段は研究書の著者としてしか触れることのない名だたるトウェイン研究者のプレゼンテーション(ないし司会)を目にする機会を得て、そしてここに集ったそれぞれの方々の作家と作品への愛着を目のあたりにすることで、改めてマーク・トウェインを研究することへの想いを新たにすることができた。

 2年前の京都、立命館大学での夏期セミナーでお会いしたフィッシュキン教授に、かつてレクチャーを受けたことをお話し、次は「4年後にお目にかかります」と言ってお別 れした。


フィシュキン教授と中垣氏

 今回は残念ながら、すべてのプログラムに参加することは叶わなかったのだが、次回はもっとゆったりと大会を楽しむことができたら、と思っている。 願わくば、トウェインゆかりの地をこれから少しづつでも訪れていきたいものだ。