デミウルゴス的芸術実践の解剖
20世紀ロシア文化史研究にみるポスト構造理論の最先端

佐藤光重

「人類の自己疎外は、自身の絶滅を美的な享楽として体験できるほどにまでなっている。ファシズムの推進する政治の耽美主義は、そういうところまで来ているのだ。コミュニズムはこれに対して、芸術の政治化をもって答えるだろう」と結んで、ヴァルター・ベンヤミンが亡命先のパリにて『複製技術時代の芸術作品』のドイツ語原稿を仕上げた1930年代の中頃、ソヴィエトでは文化活動に関する1932年の決議をかわきりに文化生活における新しいスターリン的段階が発動していた。ファシズムの全体主義に対抗してベンヤミンは共産主義のイデオロギーに目を向けた。新しく生まれたプロレタリア大衆が本来ならば既成の所有関係の廃絶を目指すべきところを、ファシズムは所有関係には手を触れずに、大衆に権利の代わりに表現の機会をあたえ、大衆による所有関係の変革の契機を未然に防ごうとしており、、当然の帰結として「ファシズムは政治生活の耽美主義にいきつく」とベンヤミンは判断した。このようにファシズムとは、現存する所有関係をプロレタリアートが改良する機会を退けるべく、過去の栄光を称えて時間的には遡行するイデオロギーであったが、他方で共産主義のイデオロギーはユートピア思想であり、未来を先取りしようとする。このとき芸術家は未来を示す預言者となり、プロレタリアートによる社会の変革を準備し、指導すべく芸術活動を展開しようとしたのであった。

 まさしく1930年代、ソヴィエトではスターリンが、ソヴィエトの文化的活動を党指導部に従属させることを計画して、「日常生活の全面 的再建」というプログラムを打ち建て国の日常生活のすみずみまでも全面 的にコントロールする政策を開始する。このことにより、1920年代までにみられたロシア・アヴァンギャルドは、30年代以降スターリン政権下に誕生した芸術活動である社会主義リアリズムによって終焉を迎えたと観るのが、これまでのロシア文化史の通 説であった。しかしボリス・グロイスはその定説をくつがえし、社会主義リアリズムがむしろロシア・アヴァンギャルドの精神を継承したものであるというきわめて斬新かつ衝撃的なテーゼを提唱する。

 グロイスの研究は現代ロシアにおける文化史研究の隆盛をうらづける。ここでいう文化史とは、いわゆる多元文化主義を標榜するカルチュラル・スタディーズとは異なり、各々の時代潮流の交替を解明することで文化の歴史的段階を明らかにし、ひいては混迷する現代ロシアにおける自分たちをこの発展段階のうちに位 置付けようとする作業である。かつてロシア文化の現在について、『現代思想』1997年4月の特集号で沼野充義氏は現代ロシアにおける文化史研究の動きについて触れ、共産主義ユートピア時代の終焉を経て、ユートピア以後の世界で目標が見えにくい状況におかれたロシアには、「その中で自分たちのアイデンティティを歴史的なサイクルの中に見出そうとする、そういった機運が出てくる」が、そういう傾向には警戒しなければいけない点もあると指摘している。ひとつの時代を明快にある様式に還元するのは20世紀を語る上で有効な手段であるのか、「20世紀とはむしろ、そういった統一的なものによってすべてが支配されないことを特徴とするような時代だったのでは」という疑問は当然おこるであろう。しかしこうしたカテゴリー化によってもれてしまう中間領域へのアプローチの重要性を認めつつも社会学的アプローチを否定して形而上学的な分析や内的論理の記述に比重を置くグロイスは、序章「スターリン文化をどう記述するか」でこの疑問に答えている。グロイスは本書で「ある程度の単純化や一般 化は避けられない」と断りつつ、スターリニズムの芸術実験と同時に、この実験に関する省察の試みを「概念化し、解明し、解釈する」ことで、最終的には事実を損なわないだけでなく、そのアプローチによって「新しい事実」を見出そうとする。その際、スターリン文化はそれをさしはさむ二つの芸術様式――アヴァンギャルド芸術とポストユートピア芸術――を通 して定義され、歴史的に検討されるのであるが、「歴史的に叙述する」といってもグロイスは「歴史的な諸事実がじっさいどのような経緯で生じたのかを詳細に記述することではない」と述べる。こうしたアプローチはそれ自体極めて正当なものではあっても、個々の純粋に文化的な現象の記述においては、これらの現象を相互に結び付けている内的論理が見失われるのではないかとグロイスは危惧し、本書でいう「歴史記述」とは、スターリン文化における内的進化を理解するための「概念図」を見極める試みであると明言している。すなわち、グロイスは時代区分によるカテゴリー化という手法に対して向けられるであろう当然の批判をあらかじめ予想し、甘受しつつ、それでもなお自身の採用する作業の有効性を保証しているのである。

 新しい芸術が新しい人間、すなわち能動的かつ想像的、進歩的な超人=デミウルゴスを具現化させることにより、来るべき理想の社会を創出する。ロシア・アヴァンギャルドがめざしたプロレタリア的な革命芸術とは、共産主義をトータルな総合芸術作品として構成的に築きあげるものである。すなわちスターリン政権下のロシアの全体主義体制とは、アヴァンギャルド固有の手法を全体芸術様式によってラディカルに表明した社会とみなすことが出来るのである。これまで、アヴァンギャルドと社会主義リアリズムは対立するものとして捉えられてきたが、これはわれわれが芸術を西欧における美術館というコンテクストで考えるからである。美術館に展示されるか否かという視座から考えるのは一元的な判断基準にすぎない。アヴァンギャルド芸術は美術館を克服し、芸術を「生の技術(アート)」に創りかえることを課題とするのであるから、まさしく「社会主義リアリズムはアヴァンギャルディストのデミウルゴス主義を完成したものであると同時にそれを反映した結果 」なのである。

 グロイスはフーコー、ラカン、ドゥルーズ、デリダ、リオタール、ボードリヤールらに代表されるポスト構造主義のフランス哲学を明晰なしかたで応用し、用語の使用も抑制が効いて的確である。本書はロシア文化史を今後考察するうえで欠かせない洞察を提供していることはいうまでもない。さらに亀山・古賀両氏の達意の訳もあいまって、『全体芸術様式スタ−リン』はロシア文化史研究のみならずさまざまな分野の批評家がポスト構造主義の理論のエッセンスを再確認し現在の文脈でいかに展開するのか、教示してくれること多大であろう。