東西都市対決
暗黒都市ロサンジェルスと魔術都市ワシントンDC

大串尚代
(慶應義塾大学)

 アメリカの都市にはそれぞれの魅力がある。東海岸には歴史ある古都ボストンがあり、商業の中心地ニューヨーク、かのリバティー・ベルがあるフィラデルフィア、首都機能を果 たす特別行政区ワシントンDC。そのまま南下すれば『風とともに去りぬ』の舞台となったアトランタ、そしてさらに南へ下るとそこはマイアミだ。同じく南部にはフランスの香り残るニューオーリンズがメキシコ湾をのぞみ、隣のテキサス州にはケネディが暗殺されたダラスがある。西海岸には霧の中から金門橋があらわれる坂の街サンフランシスコ、エンターテインメント都市ロサンジェルスがあり、ロスからルート66をひた走れば五大湖畔にある風の街シカゴへとたどり着く。

 全米にちりばめられた個性的な都市のうち、西はロサンジェルス、東はワシントンDCについて、それぞれ興味深い都市論の待望の翻訳が刊行された。マイク・ディヴイス『要塞都市LA』(The City of Quarts, 村山敏勝・日比野啓訳)とデイヴィッド・オーヴァソンの『風水都市ワシントンDC』(The Secret Zodiac of Washington DC, 三山一・戸根由起恵訳)は、独自の視点をもった都市論である。

 かたやハリウッドやユニヴァーサル・スタジオ、ディズニーランドに象徴される娯楽の中心地ロサンジェルス。かたやテロリストにも狙われる政治の中心地ワシントンDC。この対照的なふたつの都市について語る二冊の本の読後感も、同じように対照的だ。だが、はからずもこの東西都市研究がどちらも示しているのは、都市とはまさに人の思惑が交差するところであり、かつわれわれの想像力を刺激する場所であるということではないだろうか。

 「太陽照りつける荒野」であるロサンジェルスでは「知的感性は破壊される」と述べるデイヴィスの首尾範囲は、ロスのダウンタウンを中心として、近郊にある数々の郡(カウンティ)へと広がり、モハーヴェ砂漠の中にこつぜんと表れた「ユートピア」ロサンジェルスの真髄に迫ろうとする。太陽が輝き、ぬ けるような青い空がひろがる南カリフォルニアを代表するロサンジェルスも、デイヴィスの知的感性を破壊することはできなかったようだ。デイヴィスはそもそもの都市の成り立ち、都市をめぐる権力闘争、住宅地と階級制度、監獄化するセキュリティ、ストリートギャングたちの抗争と警察組織、宗教、郊外開発と、都市をめぐるあらゆる側面 に切り込んでいくが、その語り口はハードボイルド小説を思わせるように淡々としている。

 全体を通じて「土地と幻影」の問題がつねにロサンジェルスという都市につきまとっている。19世紀後半に、転地療養先として「富と健康をもとめて」十万人の人々がロサンジェルス郡に移住してきた1880年代から、夢と土地の売り込みはセットになっていたことがわかる。本書の前半で中心となっているのは土地と権力の問題に集約されるだろう。第二章「パワーライン」で描かれるのは土地の投機と、それにともなう時代ごとの権力者たち、そして国際化(あるいは植民地化)してゆくダウンタウン所有(80年代の日本企業進出についても語られている)などだ。デイヴィスは言う、「魂売り渡しまくりの経済改造、社会の多孔性、エリートの反ユダヤ主義、中心部をめぐる抗争、階級構成の国際化、極端な政治の断片化、インナーシティの公民権剥奪」がひとつにまとまった都市ロサンジェルスは、「移り変わってゆく土地投機のモード」によって権力構造が変わっていく。

 土地へのこだわりは、第三章「家からの革命」で描かれるロスの郊外住民にも共有される意識だ。郊外の分離主義と土地の資産価値への執着が、戸建ての住宅所有者の意識をのっとってゆく。「ロサンジェルスにおいて『コミュニティ』とは人種、階級、とりわけ住宅価値の均一さを意味する」がゆえに、コミュニティからよそ者は排除されなければならないのだ。この白人保守中産階級の権力闘争とコミュニティへの執着は、第五章「ハンマーとロック」に出てくる警察組織と追いかけっこを繰り返すストリートギャングの縄張り争いと絶妙の呼応をなしているように思われる。よそ者(逸脱者)を排除しロスを掌握しようとする警察と、麻薬や暴力によって勢力を拡大し縄張り(=コミュニティ)を獲得しようとするギャングスターたちは、あるいはその目的が同じであるがゆえに、「世代全体がコントロールできないアルマゲドン」へとロサンジェルスを導いていくことになるのである。

 第三章と第五章の対照性をあらわすかのごとくひときわ印象的にそびえ立つのは、この二つの章に挟まれた第四章「要塞都市LA」である。かつて白人中産階級のユートピアであったロサンジェルスは、いまや「都市計画、建築物、そして警察機構が一体になるという前代未聞の」様相を呈すのである。それは具体的にいえば「外人部隊の要塞」に似せて設計された図書館であり、警察による貧困地区への立ち入り禁止であり、一望監視施設ショッピングモールである。「ポスト・リベラル」都市ロサンジェルスは、都市そのものが要塞と化す。コミュニティを囲い込み、空間警察がその目光らせている。だがここでデイヴィスの都市論にひねりがきいていると思われるのは、要塞と化したロスを単に「監獄都市」として位 置づけるだけではなく、ロスの監獄が逆に「審美的な対象になりつつある」点を指摘しているところだろう。

 第六章と「新・告白録」ではロサンジェルスがヒスパニック系によって選挙されていることをしめすかのように、カトリシズムという宗教的問題を浮かび上がらせている。そして最終章「夢のゴミ捨て場」では、作者デイヴィスが生まれたサンバナティーノ郡フォンタナの鉄工業による隆盛と衰退の様子が、描かれる。ロサンジェルスをめぐる歴史と社会の過去と現在、夢と現実を暴いてきたデイヴィスは、「過去とは、デベロッパーのブルドーザーが払い除ける残骸に過ぎない」として、本書を閉じている。デイヴィスが淡々と述べてきたロサンジェルスの暗部は、だが、一方で多くのクリエイターの想像力を刺激してきてもいることが、第一章「陽光か、ノワールか?」で明らかになっている。この章はロスの歴史をたどりつつ、同時にロサンジェルス都市文学史としても興味深い。

 「富と健康」を求めて人々が移住してきた19世紀末。その思惑とは異なり、デイヴィスが暴こうとするディストピアとしてのロサンジェルスは、いまや「富と権力」がうずまく、不健康な都市の姿を暴露する。

 「富と権力」こそ、アメリカという国家の政治の中心となっているワシントンDCを支配する物語にふさわしいかもしれない。だが、デイヴィッド・オーヴァソンの『風水都市ワシントンDC』が明らかにするのは、「富と権力」をアメリカ国家が手に入れるために施された都市計画にまつわる秘密だったのである。奇妙な形で都市に残された建国当時の政治家たちの思惑を丹念にたどったオーヴァソンが私たちに示すのは、壮大かつ緻密に計算された「星の結界」に守られたアメリカの首都だったのである。そう、ワシントンDCは道路建設から建物にいたるまで、18世紀の「科学」であったホロスコープに基づく細かい計算うえに都市計画がなされていた---という驚くべき事実を、オーヴァソンは私たちにつきつけてくるのである。

 オーヴァソンはあるとき、ワシントンDC全体の公共建築物に20にもおよぶ黄道十二宮装飾があることに気がついたという。全てはここから始まったのである。アメリカの首都ワシントンDCにはいたるところに星の装飾や星にちなんだ名前がみられるが、それらは単に「星がわたしたちを導く」といった以上の意味合いがあったと読者がわかるのは、それらに関係・関連する人物たちが、みなフリーメイソンであることが明らかにされてからである。その中には、アメリカの初代大統領にして、ワシントンDCの都市計画を最初から見守った、ジョージ・ワシントンも含まれている。アメリカの首都建設という一大国家プロジェクトは、フリーメイソンとかれらが信奉する占星術によって計画されたのだ。

 オーヴァソンはその証拠として、まず首都建設における定礎式や、連邦議会議事堂の定礎式の時間を調べ、その時間の星の運行をしめすホロスコープを提示する。それによると、かならずそのとき処女宮が特権化される星の位 置を示しているという。黄道十二宮の装飾をほどこされた連邦議会議事堂は、その地理的位 置に置いても、首都の中心となるように建設されていることや、「首都建設に恵みの力をはっきりと注ぐことができ」ることを表す「美しき処女」をめぐるオーヴァソンの見解は、一貫して本書に通 底し、ワシントンがこの美しき女神に護られた都市であることを読者に印象づけてやまない。

 さらに興味深いのは、19世紀半ばになってから建設がはじめられたワシントン記念塔である。ご存じの方も多いだろうが、首都にそびえ立つオベリスクは、エジプト的色彩 が濃厚なのである。この異国風のモニュメントの定礎式のホロスコープは、定礎式の瞬間に乙女座のアルファ星であるスピカが議事堂の上に昇るように計算されていたことを示す。これはさきにのべた首都が処女宮に護られていることを示すもうひとつの証左にほかならないが、さらにオーヴァソンは、このモニュメントの形(エジプト風オベリスク)にかくされたフリーメイソンの意図をさぐる。こののち、読者は一ドル紙幣に見られるピラミッドがアメリカの国璽にまでなっている理由を知ることになるだろう。

 ここでたとえばデイヴィッド・レナルズが『小説における信仰』において明らかにしている19世紀にアメリカ文学に影響をあたえた東洋趣味をあわせて考えてみると、フリーメイソンという秘密結社の存在とアメリカ文学との関係にもあらたな見解を見出すことができるかもしれない。この点でも、『風水都市ワシントンDC』は啓発的な一冊だ。

 オーヴァソンの探求は個々の建物の隠れた意義だけではなく、都市計画の上での建物の配置へとつながっていく。ホワイトハウス、ワシントン記念塔、連邦議会議事堂をむすぶ三角形が、じつは乙女座の配置とも密接にかかわっていたことを明かし、アメリカの首都は星の運行によって見守られている「星の結界」をもつ魔術都市であることが明らかになっていくのである。

  本書は、全体的に神秘主義的な雰囲気をまとっているため、「えっ、これって本当なの?」とにわかに信じがたい18世紀から19世紀にかけての都市計画が浮かび上がってくる。まさに計算されつくし、設計者、為政者の思惑がふんだんに盛り込まれた魔都ワシントンDC。あちこちにちりばめられた星の装飾に護られた都市。オーヴァソンは「政治都市ワシントンDC」のあらたな神話を形成する。

 アメリカの都市に内在するさまざまな空間をめぐる言説には、いくつものアプローチがある。『要塞都市LA』は広がりゆくロサンジェルスという都市をめぐって骨太の---そしてすこし悲観的ともいえる---都市論を展開している。かたや『風水都市ワシントンDC』は、それこそ天地を結びつけた見解によって、首都建設をめぐる秘密をかいま見せてくれる。都市とはまさに人の思惑が交差するところであり、かつ私たちの想像力を刺激してやまない。