映像 1992年のチャムの核心―「寺院の儺」
                                                 野村伸一

 1992年7月、インドラダックラマユル寺のチャム。
 

 映像(5分43秒)

 仏敵〔ダオ〕退治のさまを寺僧が演じる。
 仏敵と供物トルマを取り囲んでアジャラ(阿闍羅)とよばれる者たちが大騒ぎをしつつ踊り回る。
 これを演じる者と楽士たちは寺院の法会に連なる俗人たち。彼らは日本の猿楽の徒のような者。専業者である。
 寺院の庭では修行を積んだ僧が武器をもって厳かに仏敵を退治する。アジャラたちは、悪霊が除かれたあとの亡骸をみつけると、驚き騒ぐ。そしてその始末をする。このとき、その片々(小麦粉でこしらえたもの)は観客に向けて投じられる。これは人や動物の薬になる。そのため、争って拾われる。こうしたことは民間信仰であるが、案外、この儀礼の核心につながるものかもしれない。
 トルマはこののち、寺院内にて供養される。そして日を改めて寺の外で焼却される。その際は人のかたちをしている。
  (参考 野村伸一「ラダックの儺」(『日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション』No.14)、1994年、 99-154頁。)


 〔補遺

 1

 寺僧らの仮面による跳舞のあと、核心儀礼である仏敵退治が演じられる。寺院の儀礼としてはそれで十分な意義がある。
 しかし、そこに民間信仰としての要素も加わる。場所によっては仏敵であるはずの悪霊供養をし、神がみに供物をささげるところもある。
 供物(トルマ)は村人にとってはたいせつなものでその一部を取って帰ることもある。そこには霊魂再生の観念もうかがわれる。

 2

 チャムと民間の儺のかかわり  中国でよく用いられる「寺院の儺」という名称については問題もある。これはチベット仏教圏でみられるチャムのことである。チャムは仏教儀礼の一環であり、古代中国の祭祀「儺」という語を用いて論じるのは無理だという批判もある。ただし、民間の儺とのかかわりが全くないのかというと、そうともいえない。
 たとえば、チャムのなかで、仏敵、悪鬼を象徴するこしらえ物(霊嘎)を僧侶らが制圧したあと、境内の外に運び出して焼却する。その際、僧たちはリンガに供えた物を取り囲んで供養する。このとき、悪しき霊は救済され、天界に上ったとされる。一方、リンガへの供物は霊魂亡きあとの身体に相当する。こちらは諸神や鳥獣に献げる意味がある*1。
   *1王志強「青海少数民族寺院儺与戯劇的原型思考」『青海社会科学』第1期、2006年、85頁。

 チャム儀式の核心は超度  王志強は、青蔵高原の寺院のチャムを分析した論文のなかで、この箇所は「チャム儀式の核心だ」と述べた。単なる駆邪ではなく生命の超度であるという*2。
   *2同上、 85頁。

興味深い指摘である。わたしもラダックの寺院でチャムをみたとき、この仏敵制圧の場面はたいへん気にかかった。それは元来の仏教儀礼ではなく、もう少し基層の文化に由来する呪術ではないかとおもったのである。しかし、その供養が新しい生命を授かるための準備とするならば、これは死んだとみえるものがまた戻ってくるとみること、とくにそれは農耕民の思考とかかわりがあるのではなかろうか。

 阿雑拉という名の行脚僧  ところで、いわゆる「寺院の儺」は、それ自体が儺であったか否かの解釈にかかわりなく、民間の儺に大いに影響を与えている。たとえば、チャムのなかに阿雑拉という道化風の者たちが現れる。彼らは異国風の面を着け、行脚僧の舞をする。そして、滑稽な動作をみせ、互いに殴ったり喧嘩したりする*3。これは前述した八墨僧が演じる諍いの場面とほとんど同じである。墨僧たちは一カ所の寺に留まることができず、あちこち渡り歩いてはあそびの場に現れ、互いに喧嘩をするのである。

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