2007年国頭のエイサー
                                                         野村伸一

 エイサーは沖縄本島の盆の踊りである。
 伊波普猷によると、1478年7月15日の晩に首里でおこなわれた「雑戯」はエイサーのことだという。この雑戯開催のことは朝鮮の漂流民の見聞に基づく記録(『朝鮮王朝実録』後述)にみられる。彼ら漂流民は八重山、宮古を経て沖縄本島にきて王族に謁見した。当該の記録には当時の王城とその周辺における盆行事のことが具体的に語られていて興味深い。
 今日、沖縄本島では各地各様のエイサーが踊られる。国頭では2007年旧暦7月13日(8月25日)、国頭青年団の道ジュネー[巡回]がおこなわれた。以下の映像は、謝敷で演じられたものの一部である。

 映像  国頭村謝敷 (5分27秒)
 青年男女が国頭村の各集落を回りながらにぎやかに盆のエイサーを踊る。これを出迎える人びとの歓迎ぶりが興味深い。


国頭村謝敷

国頭村与那。ここでは当日7月モーイの行事があり、踊り舞台が作られる。



 ○エイサーについての備考

 一  『朝鮮王朝実録』の記事

  『成宗実録』 105卷、 10年(1479 己亥 / 明成化 15年) 6月 10日

 七月十五日, 諸寺刹造幢蓋, 或用彩段, 或用彩繒, 其上作人形及鳥獸之形, 送于王宮。 居民選男子少壯者, 或着黃金假面, 吹笛打鼓, 詣王宮, 笛如我國小管, 皷樣亦與我國同。 其夜, 大設雜戲, 國王臨觀, 故男女往觀者, 塡街溢巷, 駄載財物, 詣宮者亦多。
                                   (ウェブ版、国史編纂委員会編『朝鮮王朝実録』)

 (大意 7月15日は諸寺刹が幢蓋[天蓋。仏像の上にかざすもの]を造る。それには彩段[綵緞。地厚の絹]、あるいは彩繒[繒は絹の総称]を用い、その上に人形や鳥獣の形を作り、これを王宮に送る。また住民の間から若い男を選び、ある者には黄金の仮面を着けさせた。彼らは笛を吹き太鼓を打ち、王宮にいく。笛は朝鮮の小管のようであり、鼓もわが朝鮮のものと同様である。その夜は雑戯を大いにやる。国王もやってきて観る。そのため男女の往観者は巷にあふれる。財物を馬に載せて宮にいく者もまた多い。)

 補注 盂蘭盆の行事を王宮でおこなっているのは注目される。そこでは仮面戯やエイサーのような鳴り物入りの跳舞がおこなわれたのだろう。同時代(明代前期)の中国王宮の盂蘭盆の儀をまねたものではなかろうか。おそらく普度(孤魂救済の施餓鬼)がなされたものとおもわれる。
 後述する伊波普猷の記述に、荒神堂のエイサーのことがみられるのも参考になる。地域の安寧のために踊りを通して無祀孤魂を慰める。それがエイサーであった。

 二 伊波普猷の注記

 伊波普猷はこの箇所を訳しつつ、雑戯のあとに、(盂蘭盆の時にやる踊りで、似念仏<にせねんぶつ>またはエイサーといっていた)と記している(伊波普猷『をなり神の島1』、平凡社、1973年所収の「朝鮮人の漂流記に現れた十五世紀末の南島」、93頁参照)。
 さらに伊波は、これが『年中儀礼』にもみられることから、「この行事はずっと後世までやっていた」とみなしている。ちなみに『年中儀礼』は伊波の執筆時(1927年)から「百四、五十年前の編纂?」とされている。すなわち18世紀後半のものという。
 また伝承では、のちの円覚寺の隣に荒神堂があり、そこでエイサーがおこなわれたとのことである(同上書、93-94頁参照)。

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