1995年山内の花祭次第(全.含映像)
                                                    野村伸一

 1. 山内の花祭概況

 大入系花祭のひとつの代表  愛知県北設楽郡豊根村大字三沢のうちにある山内部落は花祭発祥の地ともされる地区である。ここには過去三回訪れた(1985年、1995年、1996年)。早川孝太郎の『花祭』では三沢とだけ記されている。ただし、花祭はかつても今も大字三沢の六部落のうち、山内に在住する人たちによって担われた。ここが花祭の中心地であることは確かである。
 花太夫(禰宜)とみょうど  山内は1985年の時点で30戸。長らく、近隣の粟世、牧ノ島、樫谷下、浅草の四部落と共同で花祭をやっていた。ただし、祭儀の中心となる花太夫(禰宜)と舞い手のみょうどらは山内に住む人たちであった。ただ、1970年ごろから、明金部落の人たちが参加し、さらにのちには過疎が進行し、その他の地域の人も参加するようになった。
 周囲は山で生業は林業、土木関係がほとんどである。

 守られる祭式  山内の花祭がいつはじまったのかは不明である。江戸時代は11月12日におこなわれていたが、明治以降は1月12日になり、近年は1月3日におこなわれている。
 なお、準備の段階からみると、次のとおりである。すなわち12月25日の夜、公民館において集まりを持つ。同時に稽古をはじめ、12月30日の晩には「役揃い」で諸役を決める。そして1月3日から4日朝にかけての「みやならし」[一般にいう花祭の舞]を経て、1月5日清水神社においての「神洗い」とつづく。

 2. 祭場

 花宿  山内では、1960年ごろまで、毎年、五つの部落内で花宿を選定して花祭をしていた。しかし、花宿の負担が大きいことから公民館での行事となって今日にいたっている。その祭場は図のとおりである。

          
 .祭具の準備  詳細

 3 花祭の次第と進行

 花祭の次第について、早川孝太郎は「舞い」を中心に大きく三つに分けたが、ここではそれを踏まえつつ、次のように四つに分ける。

 映像

 T神迎えまで(下記1-7) 映像(1分55秒)
 U祭場語りと神へのよびかけ(下記8-13) 映像 (1分51秒)
 V人と神霊の舞(下記14-28)
   地固、いちのまい、山見鬼 映像 (3分24秒)
   花の舞(図版)、湯立て、舞おろし、花育て 映像 (2分33秒)
   道化、火の禰宜、爺・婆と巫女、三つ舞 映像 (2分47秒)
   榊鬼、湯ばやし(釜あらい)、四つ舞、四つ鬼 映像 (3分16秒)
   獅子、鎮め 映像 (1分12秒)
 W神を返す(下記29-34)
   神返し 映像 (36秒)

 〔次第一覧
 1.滝降り(3日早朝、滝の水を汲んできて釜に入れる。)
 2.神棚の祓い
 3.しめひき
 4.門じめ
 5.カミ迎え
 6.天狗打ち
 7.門固め
 8.しめおろし
 9.撥の舞
 10.とうのはやし
 11.こぎひろい
 12.式さんば
 13.順の舞
 14.地固(舞の基本)
 15.いちの舞
 16.山見鬼
 17.花の舞
 18.湯立て
 19.舞おろし
 20.花育て
 21.道化
 22.火の禰宜
 23.巫女
 24.三つ舞
 25.榊鬼
 26.三つ舞
 (27.翁 現在伝承せず)
 28.四つ舞
 29.湯ばやし(釜あらい)
 30.四つ舞
 31.四つ鬼
 32.獅子
 33.しめおろし
 34.山立て
 35.鎮め(神部屋での儀)
 36.みるめおろし
 37.神返し
 38.外道祓い

 〔花祭の進行〕 詳細

 4 花育ての含意 →詳細


1995年.豊根村山内の花育て

1990年苗族の跳花

 5 まとめ―東アジアのなかの花祭  →詳細

 戻る