小琉球の王爺のまつりは実に生き生きとしていた。それはなぜなのだろうか。
このまつりの主役は海の男たちである。しかし、このまつりを生きている祝祭に仕上げる上で第一にあげるべきは女性たちの果たす役割の大きさである。そのいくつかの例をあげてみよう。
たとえば、まつりの期間、毎日のように三隆宮の王爺廟にきて真摯に祈り金紙を差し上げる女性が少なからずいる([図版45]、[図版46])。ある女性はまつりがないときもこの廟に日参しているといい、とくに今回のまつりにあたっては段ボール二つ分の金紙を買って焼却した。きけば、船乗りの夫の身をおもってのことだという。おそらく夫は遠洋航海に出ていて今回のまつりには戻れなかったのだろう。また
あるイエでは一年以上音沙汰のない夫のためこころをわずらわしているという女性がいたが、王爺の神輿がイエの前にくれば、この人も皆と同じように甲斐甲斐しくもてなしをした。
また数は少なかったが、みずからの首に模造の首枷をつけた女性もいた([図版47])。わが身を罪の深いものと定め29)、王爺の神輿について回り、三隆宮でそれを解いてもらうのがしきたりである。その一方では赤子を抱いた若い妻が、また幼児を連れた母親が王爺の祝福を受けようとイエの前に出て並んでいる([図版48])。さらに母親に教えられて年ごろのむすめらが檳榔やたばこ、飲み物を籠に載せて持ち接待に出る([図版49])。こうした光景が道ごとにくり広げられるのであるから生き生きとしないわけはない。そこでは男たちは単に王爺につきしたがう兵卒のようなもので、これらをほんとうに迎えたがっているのは女たちであるという感さえする。
女性の役割との関連で注目すべき第二の点は王爺のまつりがかつても今も開かれた場であったということである。沿道に並べられた物の飲み食いは自由である。そしてソトからきた者もこばまない。このことをものがたる一つの逸話が伝えられている。練り歩く者のなかに「車鼓人」という女性たちの一団がいて乞われると家々に立ち寄り悪しきモノを追いやる踊りを披露する。このいわれについてなのだが、50年ほど前、原住民の女が王爺のまつりのとき小琉球に薬売りにやってきて見物していた。そのうちに、この島に踊りがないことに気づき自分の知っている踊りを教えてあげ、そのまま小琉球にいついた。その当時は男とともにおどったのだが、男たちが海にいき戻ってこなくなったので、今では女だけの踊りになって伝わるのだという。この話は小琉球では広く知られているとのことであるが、王爺のまつりがいかに開放的な祝祭であるかるをよくものがたっていよう([図版50])。
第三に、女たちがこころをつくして神々を迎え、くるモノをこばまない雰囲気にあふれるとき、そこにはまた原初の芸能がくり広げられる。前述の車鼓人がそうであるし、またあちこちの宮の前でみられた童@がやはり思い思いのやり方でカミを迎える([図版51]、[図版52]、[図版53])。かれらはカミの意を呈してときに血を流すが、わたしにとって興味深かったのは童@がけっして突出したモノではないということだ。童@だけではなく、ここでは人びとも童@と同じくらいカミと真摯に接していて([図版54])、そのなかでは童@がまるでごくありふれた役者のひとりにすぎないかのような印象さえ受ける。
さらに三隆宮の広場に面して用意された三つの舞台はさながら過去と現在のモノたちの競演である。ある舞台では現代の若いむすめたちの水着姿のショーが演じられ、大人気である。またある舞台では白い髭をつけた神仙が現れてことほぎのことばを連ねる([図版55])。だが、こちらはほとんどみる者がない。それは一言でいえば奉納なのだが、それよりはむしろモノたちがそれぞれに現れ、みずからの生を生きることに意味があるかのようである。いいかえると延々とつづけられている割には奉仕の重苦しさがない。
これらを通じていえることは今日の王爺迎えとは要するに海からの夫の帰還を待ち望む琉球の女たちの強い思いが反映されたまつりだということである。その思いがあるからこそ、海の男たちは3年に1回、故郷の王爺廟に集まり、大総理だの理事だのという役員の仕事につきたがり、また諸々の作業にも手弁当で奉仕しようという気になるのであろう。もし待つ者のいない島であったなら、男たちの「名誉」も甲斐もなく、だれがいったい制約の多い大総理になど好んでなりたがるだろうか。さいわい妻もむすめもいる琉球の男たちはそれなりに役になりきって遶境という舞台ではたくましい行進をみせる。そればかりではない。一見、好々爺然とした漁師たち、あるいはものに動じそうもない屈強な男たちが神輿を迎えると、突然、憑依のさまをみせてくずおれる([図版56]、前掲[図版54]も参照)。そうした光景が島中あちこちでみられるのだ。
ここには迎えるカミとぜひとも一体化したいという強い思いが潜んでいる。かれらは、後先顧みずカミの前で倒れることで、実はみずからが迎えられるモノと化すことになるのではなかろうか。それはけっして受け身ではなくひじょうに能動的な迎えの儀であるようにおもわれる。
いずれにしても、こうして女たちが支え男たちがだれかれなく演じつつ、全島がなかなかよくできた演劇の空間になっていく。
29)この首枷の上には「刑科六百台斤」と記されている。罪を購う代金なのだろう。
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Issued by Akihiko Yoshizaki (Keio Univ.)