済州島の正月-新過歳(1987年)の映像
                                                       野村伸一


チョガムジェ。神房が祭祀のいわれを語り、神がみを招請する。
済州島臥屹里。

 新過歳  
 済州島の旧暦正月のまつりは新過歳(シングァセ)とよばれる。そこでは神房(シンバン)が神がみの世界によびかけ、神の門を開ける。そして村の本郷神(ポニャンシン) の来歴(本縁譚、ポンプリ)を語り、招き入れる。そのあと本郷神やその従神たちに神饌を献上する。献上後、人びと(女性たち)は村の神とともに踊りあそぶ。踊ったあとでは、一年の収穫物を象徴する大きな餅が空中に高く投げ上げられる。
 次に村と個々人の厄除けがあり、さらに模擬的な狩猟(山神ノリ)がなされる。これはかつての生業(狩猟)の予祝であろう。済州島では稲作はあまりなされないので、農耕予祝の儀礼はさほど顕著ではない。とはいえ、神に甑餅(ナッカシリ)を献上するので、一年の収穫を感謝しているといえる。
 模擬的な狩猟は山神ノリという。これは害獣を追いやると同時に、獲物を取ることを祈念してのことであろう。それにより、きたる年の豊饒(猟果)を祈るものとみられる。こうした年初の村まつりは済州島独特の本縁譚(ポンプリ)と音楽に彩られている。とはいえ、大きくみると、東アジアの蜡祭の系譜の上に位置づけられる。これについては「小考」で改めて述べる。

 以下では1987年旧1月14日におこなわれた北済州郡朝天邑臥屹里(ワフルリ)の新過歳(本郷堂<ポニャンダン>クッ)を取り上げた。これは内陸部の村の正月まつりをよく示している。付映像(14分8秒)。

 臥屹里  臥屹里は済州市の東方10キロほどのところに位置し、1987年現在、94戸、461人の人びとが住んでいる。四つの小さなムラから構成されているが、中心となるのはノンフルとよばれる村である。このノンフルのノヌル堂(本郷堂)では、毎年正月14日に新過歳をおこなう。ここには次のような本縁譚が伝承されている。
 ノヌル堂本縁譚  ノヌル堂の神は松堂の十一番目の息子である。学問もでき、弓矢の腕前もいい。あちこち狩りのあそびをして歩き、ノンフルにくる。そして、玄氏の翁に会い、名を告げて大榎のもとに坐定した(玄容駿採録本)。これとは別に、この神は大榎の下にすでに住んでいた徐政丞のむすめと結婚したという伝承もある。また、徐政丞のむすめについてはこんな伝承もある。すなわち、7人の子を設けたのち、たいへんな大食らいになり、ひもじくなると、子守となり、ムラの子供たちに皮膚病を起こさせた。また、子らにもの乞いをさせ、集めたものをもらって食べたと。

 堂クッ  ノヌル堂の新過歳は次のように進行する。これは済州島の堂(タン)クッの典型ともいえる。

 三席鳴らし  午前8時半、堂には50人ほどの婦人たちが、集まっている。それぞれの家庭で夜明け前から精誠(まごころ)を込めて準備し、調えた供物、果物、酒を駕籠のなかに入れて、持ってくる。
 午前9時10分すぎに、正装した文石南神房と小巫の二人が立ったままクッのはじまりを告げる。同時に太鼓と銅鑼の音がゆっくりとひびく。三席鳴らし(サムソクウッリム)である。
 クゥエ門開き   神房が神来臨のためのクゥエ門開きをする。クゥエは神衣を保管するところの意味*1。実際には神域の一隅に穴が掘ってあり、石でおおわれていて、このとき開ける。
  *1 文武秉『済州島堂信仰研究』済州大学校大学院博士学位論文、1993年、82頁。

 列名申し(イェミョンオッリム)  神房が村人の名を、家族単位で告げていく。なお、クッの途中でも列名はおこなわれる。
 祭官による献酌   済州島では、これを酺祭(ポジェ)とよび、男だけで別におこなうこともある。
 チョガムジェ  まつりの次第語り、神宮門開き、本郷神からの神意伝達がある。さらに神房が交替して厄除けがある。つまり神の門が開いたところで、不浄なものを取り除くのである。これは、このあとの神請じ入れの前提ともなる。神請じ入れでは米粒を撒き、踊りまわる。伴奏の音楽はけっこう速い。
  映像1 (4分25秒) 神宮門開き

 本郷入臨(ポニャントゥム)  村の神がはいってくる。一般に堂クッでの祭儀的な意味、また芸能性はここが中心となる。神房は赤い冠帯を脱ぎ、快子すがたになる。そしてまず、よく通る声で前述の本縁譚を唱える。以下、神饌献上までポニャントゥムである。
 飯福之酒盞  本縁譚のあと、神房は左腕に赤い帯パルッチゴリ(矢筒の意味)を巻き付けて踊る。このさなか、餅や酒瓶を外に向けて投げる。これは本郷神およびその従者のために供物をあげるという意味である。以上を飯福之酒盞(オムボクチチュジャン)という。
 本郷(ポニャン)タリ  神房は神刀を投げ、占いをして、本郷神が酒を嘉納したことを確認すると、カムサン旗と神刀を持って乱舞をはじめる。小巫が脇にいて酒を口に含み吐きちらす。山中を駆けめぐる狩猟神を再現する。これを本郷タリという。
  映像2 (1分6秒) 本郷タリ

 三献官の献酌   三献官が入場し、神房に導かれるように拝礼して、焼紙(ソジ)を上げる[白紙を燃やして放つ]。村の人たちも、クッの場にはいってきて、本郷神に再拝する。
 チョンデウ  つづけて、神房が大きなカムサン旗を両手に持ち、本郷神以下の神がみに座席の按配をする。これがチョンデウである。
 神饌献上  三献官が再度、入場し、神饌献上がおこなわれる。
 ソクサッリム  ムラ人の拝礼がある。そして、村の神をあそばせるソクサッリムがおこなわれる。各氏の家の祭祀ではそれぞれの祖先本縁譚が唱えられるが、ここではソウジェッソリを歌ってあそぶ。 沖縄のウシンデークのようなものといえるだろう。
 甑餅投げ上げ(ナッカドジョンチム)   激しい音楽のなか、神房が踊りながら甑餅を投げ上げて神に献じる。
  映像3 (2分42秒) ソクサッリム、甑餅投げ上げ。

 チジャン本縁譚  薄倖のチジャンにまつわる本縁譚が歌われる※。

  ※チジャン本縁譚  チジャンははやくに父母を失い、親戚もいなくなるという薄幸な人生を送ったのち仏道にいそしみ、のち鳥(セ)に化す。これがさまざまな災い(邪 セ)をもたらす。これを歌い、災厄を退却させる。チジャンは「地蔵」の音読みからきた名前だろう。

 村への神意伝達  占いをして本郷神からの神意が伝達される。
 家への神意伝達  各人が持参した供物を籠のなかに入れ、神房のそばにいく。占いと神意伝達の場となる。
 村の厄除け  神房が座ったまま鈴を振りながら「村の厄除け」をはじめる。この儀礼は、一般に次のように構成される。すなわち、まずサマニ本縁譚を唱える。次に神に捧げた布を燃し、災厄を負わされた鶏を殺し、さらに託宣をきく。
 家の厄除け  個人の「霊入れ」がおこなわれる。これには「雑鬼払い」が伴う。
  映像4 (1分35秒) 個人のノクトゥリム。

 山神(サンシン)ノリ  堂クッの最後は先述の本郷神の本縁譚に基づいてやる「山神ノリ(あそび)」である。神房の唱えごとのあと、二人の小巫が狩猟を模擬的に演じてみせる。
  映像5 (2分20秒) 山神ノリ。
 
 送神  神送りをしてから「クゥエ閉じ」をして堂のまつりが終わる。

 小考

 済州島では稲作はあまりなされないので、収穫感謝、農耕予祝の儀礼は顕著ではない。かつて旧暦9、10月にシマングゥクテジェ(収穫感謝祭)があったが、今はほとんどみられない。ところが、一年の切り替わり時の祭祀儀礼は新過歳として各地でおこなわれる。ここでは、次のような特徴がみられる。

 1. 新過歳は正月元旦から15日にかけておこなう。女性中心の初春の祭儀である。祭儀は村の神事を担当する神房が担う。これは中国の正月のまつりに相当する。
 2. 村落を守る堂神(タンシン)だけでなく、その従神にも供物をあげもてなす。これは中国の社祭に相当する。
 3. 神饌献上、女性たちが一体となっての歌と踊り、その後の餅の献上などは収穫感謝祭の意味合いがある。
 4. 個々人の厄払いがある。3、4には年末の蜡祭や儺儀の趣がある。
 5. 模擬的な狩猟はきたる年の豊饒(豊富な猟果)を予祝するひとつのかたちといえる。

 済州島の正月祭祀は以上のような特徴を持つ。それは、中国における蜡祭(臘祭)、儺儀の分化・変容という枠組のなかに含めて考察するとき、より明確に位置付けることができるであろう。 (2013.5.4 補遺)

  附記  以上の概説および映像に関しては、野村伸一『東シナ海祭祀芸能史論序説』、風響社、2009年の第一章、現在伝承11および鈴木正崇・野村伸一編『仮面と巫俗の研究 ―日本と韓国―』、 第一書房、1999年所収の「済州島クッの芸能性」、とくに「4. 山神ノリ」の項、270-284頁を参照されたい。

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