2.コンシップリ(巫祖霊もてなし)


コンシップリ(原文文武秉,翻訳野村伸一)

ヨンニュタックム(コンソカソン) 服とご飯はなくとも,服ください,ご飯くださいというコンソ(神事)ではございません。服とご飯はいやでも人は出してくれるし,国が変わろうと,滞っては手にはいり,ないかとおもうとあるのが銭オアシではありませんか。春秋は年ねん緑だけれど,王の子孫は帰して帰らず,天地のあいだ,万物のうちで,なによりも貴いものは,人間のいのち,このほかにまた貴いものがありましょうか。万物のうち,草と葉とは,今年,芽生えて,九,十月には紅葉して散るけれど,年ごとに春三月を迎えれば,葉ごとに芽が生えますが,われら人間の誕生は,釈迦如来のおかげをもち,父なる人の骨を借り,母なる人の肉を借り,人として生まれるとき,チルソンダン(七星堂)に命を乞い,チェソク(帝釈)さまには福を乞い,そうして生まれいでては,一歳二歳は礼知らず,父母の功徳に報いるすべ知らず,十と五つ,十五になり,わらびのごとく萌えいでて,二十はたち,三十みそじにもなれば,ハヌニムの功は天の徳,地下の功は銀の徳,祖先,父母の功は昊天罔極,はてしない。祖先,父母のおかげには報いることもできず,ああ,一度,死ねば,七結びにされ,棺に入れられ運ばれてセギョンさまの地に埋められ,大きな松を家として,ほととぎすを友にし,千年万年,生きていけば,きれいだった顔の肉も朽ちて,水となり,肉は朽ち,骨も朽ち,塵,土くれとなりゆき,千年万年,生きていけば,二度とふたたび,生きてこられないのが,われら民草ではありませんか。
[本主金允洙氏のコンシップリ(幼い日々)]
 神の子,受け継いだ姓は金氏,丙戌の生まれ,四十一歳,父母のおかげで生まれまして,はじめ,姉さんが生まれ,六歳のとき,水浴びしていて世を去ってしまい,神の子を継いだ四十一歳は,長男として生まれたのでした。ひとつ,ふたつ,三つの年,四つになったとき,生んでくれた母と別れることになって,母は,この子を置いたまま,陸地へといってしまい,海女の仕事にいくといって,このわが身を捨ておいて,陸地のほうへいってしまったので,父方のお爺さんの胸にだかれて,人となり,四歳,五歳,六歳の年になり(金允洙[キムユンス]氏,泣く),母方の安氏の家のお婆さんの世話になり,そうして暮らしていったけれど
 七つ,八つになっては,実の父が新しいお母さんをめとって,暮らすことになったので,伯父さんがそのとき「お父さんはほかのところにいるのだから,さあ訪ねていって暮らしなさい」といったものの,父方のお爺さんを置いたままいくことができず,お爺さんを,父みるように,母みるようにし,そしてお爺さんは孫と手を取り,小川のほとりの大岩の上に座り,休みつつ,「いっしょに住もう,允洙よ」(泣く)。そうしてお爺さんの手を取り,孫が泣きだせば,お爺さんも泣きだし,お爺さんはご飯があまると,食べたふりして,孫が「食べてません」といったら,さてどうしようとおもう。夕ご飯のときになると,お爺さんの胸のなかで寝ようとそばまではっていってくっつき,お爺さんの寝ている部屋の門をたたくと,「允洙めがきたのか」と門をあけ(泣く),壁の,ちょっとした隙間にご飯が入れてあって,これを食べろとくれて,幼かったけど,「これはとっておいたんだ,やるよ」といってくれて(泣く),布団のなかにはいり,伯父さんが気づくかと,もぐって食べ,そうして寝て夜が明けると,白む前に抜け出,道なかで目がさめては,ヨワンジェ(龍王祭)をし,そうして暮らしながら,苦労しつづけ
 お爺さんの寝る部屋にはいれなくなると,どこにもあそぶところがなく,よその家のオンドルの焚き口にいって,座っては,耳の穴をほじくり,東門市場にいっては,じゃがいもの袋を取ってかぶり寝もし,そうしつつ,八歳になり,学校に上がろうと,東門路の東国民学校に入学して通っていたが,二年二学期になって,だれかが育成会費を払ってないといって,学校にいけば,会費を持ってこなかったといい,気合を入れられ,先生にも殴られ,そうして,「学校へいけば,先生に殴られるな」とこわくて,学校の門の前に立ちすくみ,毎日,ヨワンマジ(龍王迎え)などですごし,退学となり,四年の一学期になると,文氏である,伯父さんの嫁さんが高いお金を出してくれて,また学校に入学し,四年二学期になると,やっぱり会費が払えなくて退学となり
 そののち,当時は自由党のころで,警察夜間学校というのがあって,警察夜間学校に通えば,勉強もしっかりでき,そうして通っていたところ,十歳を過ぎ,十三歳になったとき,伯父さんが病気になり,今にもなくなろうとし,クッをしたとき,あの,母の一番下の妹にあたる人が,わたしを訪ねてきていうには,「かわいそうな允洙よ,お前のお母さんがうちにきているから,いってごらん」というので,母の顔は知らなくても,母がきなさいというので,「一度いってみよう」と,お爺さんにだけは耳打ちし,父には内緒できて,あの,こっ そりとタッパリにいってみて,大門からはいっていくと,見知らぬ人が迎えに出てきて「お前が允洙かい」「はい,ぼくが允洙です」「ああ,かわいそうな子だね(泣く),お前を生んでやったお母さんだよ。」そのとき,母は子をみてもわからず(泣く),息子も母を知らず,わからず,それでもなかにはいって,梁氏がお父さんとなってくれて
 その晩新しくできたお父さんが,かわいがってくれて,ジープに乗せて,叔母さんのうちにいき,梁氏お父さんがいうには「あの子, 四歳で苦労した子供を,今晩は息子として抱いて寝なさい。」そうして,その晩は母の胸のなかで寝て,家に戻ってみると,ああ,実にあの梁氏お父さんはカミを背負っていてもこころよく,思いやりあり,この身をまるでわがことのようにおもってくれて,いとおしんでくれるなあ。
 十三のとき,伯父さんは二月二十五日にこの世を去り,十四,十五,そしてはたちになったとき,伯母さんといっしょにミョンドゥ(明刀)の袋を持ち,でかけると「かわいそうな允洙よ,いっしょにクッにいこうよ。」そのとき,いったところは,あの西埠頭の防波堤の下,龍王祭をするところへいって,龍王祭をしておいて終わると,米のご飯を一握りくれ,肉を焼いてくれて,「このご飯,お食べ」というので,みな食べ
 そうして伯母さんについて家に戻ると,またその晩,七星祭にいくことになり,いっしょにいこうというので,ついていったのがはじめで,それからは伯母さんが大きなクッにいくことになると,アンチェッポを担いでいこうといい,小さなクッであっても,アンチェッポを持っていこうといい,そうして(泣く),ご飯をもらいに歩いて回ると,良き前生を損ね,それからはいい神房になろうと歩き回り,そうして伯母さんが,「お前のお母さんになってやろう。」伯母さんにくっついてクッにいっても,やっぱりいっしょにクッをし,一切の教えを受けて歩き回るとき,母方の叔父さん,洪氏がいて,教わりにいくと,神の子を膝に乗せ,太鼓も教えてくれるし,クッも教えてくれる。鉦をたたくとき,杖鼓の撥さばきも教えてくれる。
 ある日,サミャン(三陽)に住んでいるとき,チャンソンアルで砂を掘ってきた日のこと,天幕を張ってクッをするとき,太鼓をたたきながらうつ伏して寝こみ,叔父さんに撥でひっぱたかれた。殴られると,あんまり痛くてとうてい我慢できず,太鼓たたくのを放っぽって垣根のうちにはいって悲しみにくれたけれども,だれにうちあけることもできず(泣く)
 そうするうちにお爺さんが三陽にやってきたので会うと,お爺さんは三陽にいく気持ちはあっても,(いって会えば)この孫がどうなるかと心配だったといって,そのとき,母の末の妹がクッをするときで,「允洙もいっしょに連れていきますよ」というので,三陽にきたというのです。お爺さんといっしょにクッにいってくると,目を閉じて「いい神房だ」という。クッをならおうと歩き回っていた十七のとき,お爺さんがこの世を去ることになり,そのとき,(お爺さんは)病気をしていたけれど,二月二十五日,文氏お母さんは,西門路に住むときだったけれど,祭祀をする日だったので,この允洙も祭祀のご飯を食べにいこうと,朝から文氏お母さんの住むところへいってしまい,その日の朝,お爺さんが寝ていて,死にかけていたとき,今,三陽にいる長女も,当時はキムニョン(金寧)にいて,いざよんできても,おじいさんは「いやもう生きられない」という。
だれだかがそばにいて「これは,かわいがってた孫に会いたがっているのだ」といって,済州の市内にきて,ふたりの人がきて,その日をいっしょにすごしてから,(お爺さんのもとへ)いってみると,もったいなくもお爺さんは(泣く),六月二十五日に,この世での成仏を祈り,あの世での成仏を祈ることになり,お爺さんの手を取り,口に水を注いであげ,「ぼく,允洙がまいりました。」口に水を注いであげると,「ああっ」とだけいって,あの世へいってしまい,こうしてお爺さんもこの世を去ってしまったので,神の刑房,四十一歳は,そのときお爺さんが死んでしまい,「神房なんかしても張り合いがないな(泣く),これからなにして暮らそう。」
その足で済州市へいき,安氏の家の婿を助けて暮らしていたとき,十九になった年に,結婚し,二十一になった年に,もう一度結婚し,二十三歳の年に,国から軍隊招集の令状がきて,その年,今はたちとなった,このむすめが生まれ,軍人の令状をもらって,一九六八年三月十一日に,一線の軍人として出ていったけれど,軍人として三年間,勤務しようとしたところ,そのころの一兵卒の暮らしはとうてい耐えがたくて,それならばと一軍の下士官学校に志願し,認められ,下士官学校にはいって,二十四週間の訓練を受け,下士官の位につくには,空輸の訓練を受けなければならないというので,そのころ,金海の空輸部隊にいって,訓練を受けていたとき,十月ついたち,国軍の日に行事をすることになり,訓練を受けたところ,空中で飛行機から落下傘に乗って飛び降りたけれど,紐がひとつ切れてしまい,意識もなくなり,風の吹くまま飛ばされてゆき,ソウルは道峰山の木の枝までいって引っかかり,このときも危うく死ぬところだったけれど
本主金允洙氏のコンシップリ(金允洙氏と高氏お母さんの出会い)] 二十六になった年,三月十三日,除隊し,故郷の山川のもとにきたけれど,どこにも住むところがなく,ゆくところも戻るところもなくて,どうしようかとおもい,今はたちの子の母親といっしょに,高氏お母さんがシンチョン(新村)に住んでいるころだったので,新村にきて住もうとおもい,当時金氏一門には寄る辺がなかったので,訪ねていってあいさつし,ある日,ワサン(臥山)にクッをしにいくことになり,高氏お母さんが「いっしょにいこう」というので,いっしょにいきました。
そのとき,今の連れ合いと夫婦の縁を結び,除隊後は立派な神房になるつもりもなかったけれど,いざ帰ってきてみれば,食べていけず,どこのだれもカネ一銭めぐんでくれず,服を買ってくれる者もなくて,「ええい,どうなろうとかまうものか,また神房をしよう」とおもって,臥山のクッにゆき,高氏お母さんと神房になる約束をし,はなし合い,心配もしてもらい,そうして,戻り「お前,とにかくわたしと母と子になろう」「では,どうかそうしてください。」それからは父母のごとく頼り,済州市にいって住み,また新村にきて,あの西のところに敷地を準備し,二十九になった年に,高いカネを出し,この家を買い,きて住むと,愛しい子供たちも生まれ,ともに暮らすことになり
神のソンバン(刑房)も,草や葉なら遺伝もしようが,子弟だからとて伝わるものではないけれど,わが六代の祖のお爺さんは三代つづいて一人っ子で,その六代の祖のお爺さんがこの世を去り,高祖父が(その父を)あの,クウェットゥルに埋葬するとき,知り合いの風水師が通りすぎて,いうには「ここに棺を置き,ここに墓を作れば,子孫は広がらない代わり,神房の子孫は生まれよう」というので,そのころも子孫はだいじなので「神房でもいいです」というと,「あした,巳の時になって,西のほうからクッの音がきこえたら,棺を下ろしなさい」といったところ,翌日,まさにちょうど巳の時になったとき,クウェットゥルのほうからクッの音が遠く響いてきたので,棺を下ろし埋葬して
また高祖父も一人息子として暮らしてこの世を去ってしまい,曾祖父は,そのときからよい前生を損ね,済州島でも威厳と品位のある神房となり,やがてお爺さんもこの世を去ってしまい,日月明刀はお爺さんの弟が持って回り,そうこうするうちアメリカにまでいったけれど,今,現在は父方の伯母さんがいつきまつっています。
神の子も高氏お母さんの子供となり,二十九のとき,九月二十三日に,済州市トングヮンヤンの腕利きの鍛冶屋のところへいって,いいお手本を置いて,日月明刀,祖先さまをこしらえ,お迎えいたしました(?)。こしらえておいて,去年,いや,おととし,高氏お母さんがこの世を去ってしまい,そのお母さんが生きているときに,「クッをしよう」というので,「いたします」というと,「どんなふうにするつもりなのか」「十王さまの棚を作り,堂主霊迎えでもしようとおもいます」というと,「どうせやるなら,クンデ(長竿)を立て大きなクッをし,さもなければ,やめなさい」といったけれど
そういってくれたお母さんが,にわかにこの世を去ってしまい,「ああ,どうしよう」とおもっていたけれど,お母さんのカンジャン(肝臓)を解いてさしあげ,我が身に降りた祖先さまも解いてさしあげようと,吉き日を選んでもらい,そして,以前,脇にいる堂主の使い走りも病みがちで,梁氏お父さんに ペクチアルテギムをさし上げることもあり,李氏父母にペクチアルテギムをさし上げることもあり,このたび,祈祷をし焼紙を焚き,クッをしようと今年,丙寅年,九月十一日,鬼神にお出でを願い,生人は各氏をおよびして,姓は金氏,お母さんが人間世界に生を受けて,堂主の門,祖先の門も開きました。
門がずっと開かれてきて,また,門を開いてやると,姓は高氏が降りてきて,オッカンサンジェ(玉皇上帝)さまの前で鉦,太鼓をかなで,外へ向けては,天之天皇,地都地皇,人都人皇,三皇のやってくる旗,テットン旗,ソットン旗,チュレヨ旗,ヤンサン旗,ナビチュルジョン旗[身の上語りの最後]
一万八千の神がみはいらしてください,いらしてください。
 チョガムジェをいたしました。チョガムジェでお招きしておいて,またこうしてつづけて,ああ,十二日にはシワンヨンマジ(十王霊迎え)をはじめまして,祖先の祭壇をこしらえ,あの世へいく道の障害を取り除き,ならしました。十王さまを担いいれています。きのう,おとといはクムドンウジョンの庭へと,タンジュ(堂主),三十王霊迎えをして,今は亡き神房先生たち,あの世の三十王,あの世の三ハヌル,堂主お爺さん,堂主お婆さん,堂主お父さん,堂主お母さん,堂主お坊っちゃん,堂主お嬢さん,堂主本明刀,堂主神明刀,堂主三明刀も,メンドゥメンガムサムチャサ(明刀冥官三差使)たちも,亡き先生たちもいらしてくださいとお招きし,こうして三十王,三ハヌルさまに祝願をいたし,神の刑房夫婦,この夫婦は御印打印をしてもらい,薬飯薬酒をいただいて飲みました。今日,朝には提灯の火のもと,明刀命監三差使さまには膳をもって差し上げたところです。さてシンコンシデップリをする番となりました。えー。


25. 神房が座って鼓をたたきながらやる[コンシップリ]のようなクッでは,ヨンニュタックム(まつりの次第語り)を[コンソン]とか[カソンコンソン]という。(なお,コンソンは「恭神(神もてなし)」だと玄容駿はいう。またコンシップリは巫祖霊をもてなす儀礼である。これは本主金允洙氏が担った。訳者注)
26.原文「オリノンチャンとなる。」オフィノンチャン,オガリノンチャンなど,すべて棺を運ぶときの歌のはやしことば。「オリノンチャンとなる」は運柩されて,の意味。
27.ヨワンジェ(龍王祭)。神房を連れて海辺へいき,海で死んだ者のジ(紙)を供え,龍王神へ海の仕事をするとき事故がないように祈るクッ。堂クッとしてやるときはという。
28.海を管掌する龍王を迎え,祈るクッである。
29.タバル,タッパリなどとよばれる済州市西埠頭塔洞。
30.金允洙氏は四歳のとき,母と別れた。
31.プクトゥチルウォンソングン(北斗七元星君)に寿命の長からんことと家内の幸運を祈るクッ。
32.神房がクッにいくときに担いでいく,巫具を包んだ布。
33.済州市三陽洞の地名。
34.北済州郡朝天邑臥山里。
35.朝天邑テフッリ(大屹里)コッピョンドン。
36.祖先代だい受け継いできたメンド(明刀)。
37.済州市二徒一洞東広壌。
38.クッをはじめる前に,簡単な願い事をし,焼紙を焚き,これからクッをするということをカミに知らせる巫祭。
39.大きなクッをするとき,クンデ(長竿)に吊り下げる旗。かつては龍のようすに作ったが,今はその代わりにウォルトッ旗をつける。
40.キリエ旗か。旗の一種。
41.チュルジョンナビッ旗。長竿に白紙を取りつけ,ナビ(蝶)の模様にし,ひらひらと翻らせる旗。
42.チヤドゥッ旗・ウドゥッ旗。長竿を中心に,チャ(左)・ウ(右)に付けるもので,長竿のテットン旗よりも小さな旗をいう。
43. クム(金)・トンイジョンか。トンイジョンはジョン(全)・トンイ(甕)の意味。それでクムトンイジョンは,「すべての供物を整えた」の意味か?

訳注

12.ここではコンシップリをはじめる前の「次第語り」を訳出した。このコンシップリの前日,金允洙氏の神房としての母親「高氏お母さん」が祭場に迎えられていた。この日はそれを受けて,本主が神房となった来歴をかたったので,とりわけこころのこもったものであった。(図版3参照)
13.ハヌニムはハヌル(天)・ニム(さま)で,朝鮮民族のいつく天神。ただし,日本の天神のような特別な本縁譚があるわけではない。多分に人格化されていて,民間では,これがのちにキリスト教の唯一神(ハナニムと翻訳される)と重なって受容されたことはよく知られている。この文脈では,天の神ハヌニムに対して,「地下」が神霊の扱い を受けて述べられる。
14.セギョンは農耕神,地の神。
15.神房をさすことばとして,「神の子」「神のソンバン(刑房)」などがある。刑房は朝鮮朝の役人,刑法を司る。元来の音はヒョンバン。この転化だといわれる。神房は神 の世界の法を司る者という意味であろう。
16.金允洙氏は当時のことを「幼かったけどはっきりおぼえている」という挿入句である。
17.実の母の二度目の夫は梁クムソク神房。この人はよく名の知られたすぐれた神房だっという。なお,実の母にあたる人は神房ではなかった。
18.このあたり,少し文意がわかりにくいが,要するに,除隊後,寄る辺のない状態の金允洙氏が軍隊にいく前にいっしょだった女性と「高氏お母さん」の住む新村に訪ねていったということである。
19.原文は,「コブン タンクル(棚)」。
20.原文は「カンジャン(肝臓)を解いてさしあげ」。「肝臓」が「こころ」を代表している。以下の訳文では「こころを解く」としておいた。
21.これは金允洙夫人の李貞子神房のことである。
22.ここの「金氏お母さん」は初日のチョガムジェ(初監祭,また招神祭)に首神房役を引き受けた金夫玉神房のことである。
23.このチョガムジェは神クッ全体の初日のものをさしている。
24.サム(三)ハヌル。サムは神聖を示す。ここのハヌルは巫祖三兄弟のいるところを指す。
25.ポンメンドゥ(本明刀)・シンメンドゥ(神明刀)・サムメンドゥ(三明刀)は巫祖三兄弟のこと。
26.「メンドゥメンガムサムチャサ」はあの世の閻魔大王のもとで人の命をつかさどる者。
27.シン(神)コンシ(恭神)デ(大)プリ(解くこと)。コンシップリは,神霊のうち,とくに巫覡の祖霊をよび,もてなすことに主眼が置かれる。それ自体は叙事的なものではない。

神クッ−カミと人のドラマ