第5章  大祭の日程


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この章の内容

1.準備

2.面様迎え

3.前夜祭

4.本殿祭

5.ししとぎり

6.神送り

7.ししば祭りと六社稲荷祭り

8.俎板おろし  不定日





 銀鏡神社大祭は昔は、 旧暦11月15日を中心とする大祭であったが、 現在では12月15日を主とする以下の行事から構成されている。


12月12日  門注連祭
      13日  シメ作り、星の舞
      14日  本殿・末社の御衣替え、面様迎え、前夜祭(よど祭、神楽三十三番)
      15日  本殿祭、面様送り
      16日  六社稲荷祭、ししば祭

 この地域の祭場は高千穂や椎葉では一般の民家を神楽宿にすることが多いが、 米良では宮司家の先祖神を祀るハナヤを中心に行なわれることが多い。 銀鏡では宮司家に隣接するハナヤ(花屋)の拝殿を内神屋(うちこうや)、 前庭を外神屋(そとこうや)と称して行事を執行する。 銀鏡のハナヤは西之宮の社殿、 龍房山の拝所でもあり、 宮司家の所有地に建つ。 西之宮の社殿にはかつては仏像も祀られていたとされ、 先祖神との関連が強い。 大祭には神楽の支度部屋ともなる。 主神の西之宮大明神の「降居」の面様は、 ここに祀られている。

 神楽は外神屋で前夜を中心に行なわれるが、 銀鏡神社の祭典は翌日の昼間に本殿で行なわれる。 大祭に面様が参加する宿神社と手力男社も、 担当する社人のハナヤである。 村所ではかつては神楽は八幡神社の神主家の庭でハナヤの前で行なった。 銀鏡では、 正月・五月・九月に家々で家清めをするが、 先祖を祀るハナヤでの氏神祭りで、 竃の前で火の神祭りも行なう。 これは宿神三宝荒神社の神主の仕事である。

 大祭には、 内神屋の天井に、 二本の綱がはすかいに張られて二十八宿になぞらえた28本の榊枝が付けられる。 外神屋には三間×三間半で土盛りの舞台があり、 四隅に榊の枝を立てて麻縄で結び、 御幣や飾り物を掛ける。 外神屋には拝殿と対峙するように青柴の若木でヤマという柴垣を作り、 33本の幣を立てる。 ヤマは龍房山とか高天原ともいう。

 ヤマの前には神々を招くシメを立てる[VIDEO]。 天神七代、 地神五代を奉斎する。 シメには銀鏡でしか使わない独特の漢字「」をあてて独自性を誇示する。 これは上部に藁塊を置いて造化三神をかたどる御幣を立て、 横長にクモ(雲)と呼ばれる赤い幕と、 太陽を表わす黄金色の円盤を付けるのである。 中程には榊の丸めた柴を付けて天神地祇の御幣を21本挿す。 シメの上部から拝殿の屋根に対して三本の綱が張られ、 外神屋の中央部にあたる部分にアマ(天)という円筒形の天蓋が吊される。 カミ・タカという飾りを掛け、 四方と中央に五色幣(五方堅神を祭る)、 中央部にモノザネ(蜂の巣)といって五色の紙片を紙袋に包んで吊す。

 内は星、 外には太陽・雲・天をかたどり、 合わせて夜と昼にわたる宇宙の時間の運行を表わすとも言える。 その焦点となる空間は山、 そして柴で表わされる森である。 原則として内神屋と外神屋への一般の人の立ち入りは禁止され、 特に女性は入ってはいけないとされる。


1.準備

 12日は午前8時頃に神職、 祝子、 氏子総代が早朝に社務所に集まる。 打ち合せの後、 境内を清掃する。 午前10時頃から門注連祭を行ない、 宮司は社務所(宮司家)の家清めと神屋(こうや)の祓い清めをする。 宮司は門柱に榊枝を立て注連縄を張り幟を上げる 禰宜は、 祭りの間の調理に使う竃を清める。 竃は神楽でも幾つかの舞で焦点になる。 例えば、 「火の神舞」(おきえ)では、 終了後に舞手の二人が竃に幣を納めにいって、 短い舞をする。 「神送り」でも、 頭の前後にズリ面を被った祝子三人が、 杵と臼を持って祭場を巡ってこの家の竃にきて神楽を終了する。 家の竃が最後の神送りの祭場とされていることは明らかである。 この日は準備を進め、 夕方に直会があり解散する。

 13日は早朝から午後4時頃まで準備を行なう。 シメ作りの日で、 神職と祝子、 つまり祭員が全て加わって大祭の準備をする。 忌みに服している者以外は全て加わる。 神職は幣を作り、 祝子は幣束用の竹を切り縄をなう。 シメやアマなど祭りに使う祭具の作成も始まる。 午後5時頃に、 神楽1番の「星の舞」が内神屋で舞われる。 これを二十八宿祭とも言う。 舞の終了後、 氏子総代の清め祓いがある。


外神屋のシメタテの風景  14日は朝から神職と祝子は外神屋の飾りをする。 午前10時頃に「シメ立て」を行なう〔VIDEOam VIDEO 〕 宮司は内神屋に立ち、 盆に入れた米を笏で撒きながら神歌を歌う。 神を集め、 岩戸前の飾り付けをするという内容で、 これに合わせてシメが立つ。 シメは二種類あり、 外神屋に立てる本シメと本殿側に立てる宮シメがある。 宮シメは立願者や願成就した人、 本シメは願成就した人が立て、 古くは本シメを立てた個人が神楽の費用を持つことになっていた。 シメは通常は一本で氏子全員で立てる。 個人の願によるシメを立てる時は偶数を避けて三本にするという。 午前中で外神屋が出来上がる。 これと平行して宮司は本殿の二柱の神像と神鏡のオキヌを、 祝子が本殿脇の末社のオキヌ(紙衣)を取り替え、 神木、 森木に御幣を飾る。 「御衣替え」である。 かつては重ね着をしたが、 今は新しく取り替える。 支度が終了すると、 各自一旦帰宅して沐浴する。



2.面様迎え

 14日の午後、 神職と祝子は白衣に黒紋付を着て、 午後1時から3時頃に担当している社に集まる。 これを「面様迎え〔real VIDEO 〕といい、 宿神(征矢抜)、 手力男命(古穴手)、 六社稲荷(中島)、 七社稲荷(田之元)、 若男大神(杖立)の五ケ所である。 西之宮大明神の面は銀鏡神社にあるので迎えはない。 明治以前は「ししとぎり」の面を奥畑から迎えたという(須藤 298頁)。 神楽ではそれぞれの「降居」で面をつけて舞う〔real VIDEO〕


ザツキの風景  手力男社の場合、 面を社から取り出して茶の油で手入れをして面箱に入れる。 これを神衣替えと称する。 面は御神体であり、 一年に一度の大祭だけに出す。 座付(ざつき)と称して祭式に参加する者がそろって一定の座について精進の食事をする。 豆腐料理を主体とする簡単な膳が用意され、 神酒も出る。 法螺貝の合図で出発するが、 面箱を背負うのは、 それぞれの面を祭神として祀る社人である。 祝人が護衛するようにして付き添う。 現在は車を利用するが、 かつては徒歩で2時間あまりかけた。 法螺貝、 笛、 太鼓に合わせて、 幟をなびかせてやってくる。 途中で宿神社に寄る。 ここでも座付があり、 神任(かんにん)が主体となって豆腐の用意など支度を整える。 座付の終了後、 手力男命と宿神の面様は一緒に宿神社を出立する。 かつては面様を拝む人で溢れたという。


 五つの面は各集落から出て、 銀鏡川に架かる囲橋のたもとで待ち合わせ、 午後5時頃に一緒になると、 行列を作って銀鏡神社に練り込む。 6時頃、 外神屋に到着し、 内神屋に近い方から、 宿神、 手力男命、 六社稲荷、 七社稲荷、 若男大神の順に座して、 面箱を背負ったまま、 串差しの七切れの豆腐と神酒を頂き 面様を内神屋の正面に安置する。 椎葉神楽では、 神楽が始まる時に、 俎板の上で猪肉かそれに見立てた豆腐を切る「板起こし」をして神と共食することと類似する。 狩倉祭りで豆腐の串刺しを七本食べる慣行とも繋がっていくであろう。




3.前夜祭

 面様迎え終了後、 社務所で座付が行なわれる。 宮司・禰宜・権禰宜・祝子・社人(祝子でもある)・氏子総代が席につく。 氏子総代の一人が座奉行となって座を差配する。 精進で祭りが終わるまで四足獣は食べない。 「吸口を差し上げます」「御神酒を差し上げます」「お膳を差し上げます」などの進行口上を述べ、 その都度、 品が出る。 お膳ではへそ飯と呼ばれる上部に突起を付けた円筒状の盛り飯に特色があり、 串豆腐、 刺身などが出る。 正座が続く。 この座敷には女性は入れないので、 接待は男性の世話人が行なう。

 午後7時30分過ぎから、 「よど祭り」が始まる。 外神屋で修祓を行ない、 内神屋に着座する。 内神屋の神前と、 外神屋のシメの下の祭壇に神饌を供える。 米、 魚、 野菜、 お神酒だけでなく、 猟師の奉納したオニエと呼ばれる猪頭も並べる〔RealPlayer VIDEO 〕 オニエは三宝の上にイノコシバ(とれた猪を背負う時に背中にあてる柴木)を敷いてその上に置くが、 撃ちとった者の名前が紙に書いてある。 村人は神饌用の猪をとるために祭りの前に狩りの日、 山清めの日を選んで共同狩猟に入るが、 不思議にとれるという。 オニエは単なる供物というよりも、 御神格に近い。 献饌に引き続き、 宮司の祝詞奏上がある。 神楽に移り、 第2番の清山から始まる。 神楽は後述することとし、 全体の流れを述べておく。

 神楽は2番の「清山」に始まり一晩中続く。 8番「西之宮大明神の降居」、 10番の「宿神三宝荒神の降居」の後に休憩に入る。 この時、 シメ拝みがある。 これは本シメ、 宮シメを立てた人を宮司が祝詞で奉告するのである。 ここで夜食の休憩に入る。 ここまでは「神の神楽」として厳粛に見るが、 休憩後は「民の神楽」として囃子などして賑やかに見るのだと説明する人もいる。 神楽囃子は笛や太鼓の調子、 神楽の舞に合わせて歌う。 内容は恋愛や喜び事に関するものが多い。 夜食の後はやや早めとなり、 シメ拝みの後は31番の「鎮守」まで神楽が継続する。 鎮守は「くりおろし」または「シメ倒し」ともいう。 舞が終わるとシメを倒し、 一緒にヤマも壊す。 この後、 祭場の場所が西側の本殿に移り、 本殿祭になる。


4.本殿祭

 12月15日に神屋の西側にある本殿で、 午前11時過ぎから祭典が執行される(図3)。 神職・祝子に加えて、 右大臣・左大臣・舎人(とねり)の子孫も参列する。 右大臣は上揚の那須家で懐良親王に随従して来た者の子孫といわれ、 左大臣家は奥畑の浜砂家、 舎人は登内の浜砂家がその子孫とされる。 三家は本殿祭には必ず参列することになっている。 右大臣は金幣、 左大臣は銀幣を持つ。

初参り風景   献饌・祝詞奏上に引き続き、 前年の大祭以後に生まれた子供の初参りと拝幣行事がある。 子供の名前を奏上し、 男子は宮司の持つ金幣で、 女子は禰宜の持つ銀幣で頭を撫でてもらい、 次いで神前に供えた甘酒(一夜ゴスイ)をもらう。 甘酒は幼児に飲ませる真似をして親が頂く。

 初参りの後、 拝殿で式三番を舞う。 古文書には神楽を七番奉納した後に「稚児初詣り」とあり、 逆になっている。 神楽七番とは、 清山・初三舞・幣差・住吉・降居・神崇・成就神楽(神送り。 よど祭り以外では、 じょうぜかぐらと称する。 下の地)であり、 本殿祭での式三番とは初三舞・鵜戸鬼神(降居)・成就神楽〔RealPlayer VIDEO 〕である。 ここでは鵜戸鬼神の降居(宮降居)があるが、 祭神には入っていない。 これはかつての神主と鵜戸神宮との由緒によるらしい。 最後にアマガユ(米に麹を入れて発酵させたものでかつての離乳食)を共食して終了する。



5.ししとぎり

 本殿祭の終了後、 再び外神屋に戻り、 正午過ぎから32番のししとぎりに移る。 これは壊したヤマを実際の山に見立てて獣の代表を、 シシ、 つまり猪として、 これ狩りを模擬的に滑稽に演じる。 トギルとは足跡を追う、 或いはどの方向にいるかを見定めることだという。 かつては「狩法神事」や「獅子取鬼神」といった。 前者は現在も使用され、 翌日のししば祭りの別名ともなっている。 後者がなまってししとぎりになった可能性もある。

 主役は男面と女面をつけた猟師と、 狩行司役の三人である。 見物人は男女を爺と婆とする(神名は豊磐立命と櫛磐立命)。 浜砂正衛宮司によると、 かつては七人狩人の役のセコ役が七人と、 犬役(杖立から)が出たという(須藤 332頁)。 男面は、 手ぬぐいに頬被りをして面をつけ、 棕櫚皮の鬘と脚絆と腰あて、 足半草履、 野良着をつけ、 腰に山刀を模した摺子木、 股間には大根で作った男根、 棟にタカウソ、 メンパの入ったテゴ(篭)を背負い、 弓矢を持つ。 女面は棕櫚の鬘の上に手ぬぐい被り、 皮製のたちあげ、 足半草履、 メンパと小鉢が入ったテゴを背負い、 弓矢を持つ。 狩行司役は、 白衣、 白袴、 幣と麻を結んだ榊枝を持つ。 狩行司は旧村に一人ずついたが、 これは中尾村の役で、 奥畑に家があったので奥畑行司と呼ばれた。 面は明治時代の初め頃まで、 奥畑行司の家で祀り、 大祭の時に持ってきたという。 榊に結んだ麻緒は猟師があらそってもらっていったという。

 ししとぎりはヤマを倒した柴を山として、 中に隠してあるイノコシバをくくり付けた俎板を猪に見立てて行なう。 イノコシバはとれた猪を背負う時に、 間に挟み入れる柴木をいい、 オニエ(神饌の猪頭)の下敷にも用いられる。 見物人の猟師は男面に名前を呼ばれると猪が沢山とれると信じていた。 最初に、 男面女面の二人は矢を肩に背負って台所から出現し、 山に猪を探しにいく。 男面の吊す男根は女神である山の神が喜ぶとされ、 山の神への捧げ物である。 これを見ると山の神は猪を授けてくれたり、 山仕事をする者の身を守ってくれるという。 この日はオニエの猟なので逃がしてはならないという。


 次いでマブシワリをする。 猟師の名前を呼んで猪の通り道のウジに猟師を配置する。 これが一種の神の声であり、 猟の行方を左右すると信じられていた。 マブシは狩倉や狩場ごとにあり、 その日の状況によって狩組の頭が割り付ける。 ししとぎりでは銀鏡地区全体を一つの狩倉とする(図4)。

 メンパを取り出して食事をすると、 狩行司から声が掛かり、 猪が見つかったと知らされる。 男面は猪が恐いので弓矢を投げ出して木に登ってしまうが、 勇気のある女面は矢で猪を射る 男面も木から下りて矢を放って仕留める。 猪を山から引き出し、 尻尾を切る所作をして声を挙げて仲間に報せる。 最後に、 男面が重そうに猪を背負って台所に戻り、 梁に掛けて吊して終了する。 作物を荒らす猪を防御しつつ、 それを食物源として豊猟を祈る。 恐れと期待の間を揺れ動く心理が微妙に交錯する。
 この行事は、 本来神楽とは別に行なわれていたと思われる。 村所など西米良村では神楽が前夜祭としてなされ、 本殿祭がある。 第二次世界大戦前までは、 その後に「狩面」として猪狩りが模擬的に演じられて、 余興としての色彩が強かった。 最初に「狩場立」がなされて、 ヤマクロを大将にして「狩面」が五人か七人出る。 ここでも「狩倉立」が行なわれ、 大根が猪肉でこれをコウザキ様に捧げ、 次いで猪狩りとなり、 やはり俎板を猪に見立てて猟をする。 最後に、 俎板を狩面宿の梁にくくり付けて終了する。 ししとぎりと同様の意味を持つ狩猟の祈願であった。


6.神送り

 この後、 33番の神送りが行なわれる。 面を前後につけ臼を担いだ二人と杵を持った面が祭場と出店をまわり、 最後に台所で舞納める。 直会が社務所で行なわれるが、 これをイタシキバライと称し、 オニエ(猪頭)の肉を入れた雑炊のシシズーシーが提供される。 食事の後は面様送りで、 囲橋までは五面が一緒にいき、 そこで別れて各社に戻っていく。 祝子がお供をして送り届ける。



7.ししば祭りと六社稲荷祭り

 12月16日の朝8時頃から同時並行で行なわれる。 ししば(猪場、 しいしば)祭りは「狩法神事」とも呼ばれ、 前日のししとぎりと一連の行事とも見られる。 ししば祭りは権禰宜と二、 三の祝子だけが銀鏡川の河原で行ない、 前年の祭り以降に殺した鳥獣の霊を祀り送るという。 上の河(かみのこ)、 中の河(なかのこ)、 下の河(しものこ)という祭場があり、 自然石があり、 洪水や大水でも動かない神石とされる。 かつては白足袋で祭りを行なった。


 上の河には勧請幣、 下の河にはササワキという幣を結んだイノコシバを置く。 イノコシバは猪狩りでは重視される柴木である。 ササワキは水に流れる所におく ししば祭りが流れ潅頂という仏教的な供養の意味をもたされるのはこのためである。 中の河が中心的祭場となり、 ここにオタギを組み、 ハナカギを猪頭の鼻にかけて乗せて毛を焼く〔RealPlayer VIDEO ] これは猪がとれた時に、 オタドコ(解体作業をする場所で流水の近くが選ばれる)で行なう作法と同じだという。


 終了後、 オタギとハナカギは、 中の河の石の脇に納める。 中の河の石に勧請幣を立てて、 洗米、 塩、 麻緒、 神酒、 更に毛を焼いた猪の左耳を七切れ(本来は心臓)にして竹串にさして供える。 祝詞を奏上する〔RealPlayer VIDEOが、 仏教の経文も含まれる。


 最後は直会となり、 猪頭の肉を切って〔RealPlayer VIDEO 〕 オタギの火で焼き塩をつけて食べて終了する。 六社稲荷祭りは河原の上の山に鎮座する六社稲荷社で行なわれ、 式三番が奉納される。 初三舞・六社稲荷・成就神楽である。 行事が終了すると、 最後に直会となる。



8.俎板おろし  不定日

 ししとぎりに使用したイノコシバを結び付けた俎板は、 そのまま行事後も台所に吊しておき、 大祭後に初めて猪頭の奉納があった時(初物)におろす。 これが願成就であり、 奉納された猪頭の肉をその俎板で切って、 三ケ所の神に捧げる。 本殿脇の山宮社、 三宝荒神の神木(俎板のイノコシバとこれを背負ったカニイロも納める)、 七社稲荷である。 この猪頭の奉納は猟師の意志によるので、 奉納の日は宮司にもわからない。 かつてはししば祭りで、 合火の神事を行なって俎板おろしのための日を占い、 その日迄に猪をとって神前に捧げたというが、 現在は行なわれていない。

 俎板おろしの後、 宮司は狩りの神である七コウザキを拝んで回り全ての行事は終了する。 七コウザキは、 山宮社(本殿脇)、 轟の元(銀鏡川沿い)、 小向(鷺の巣という屋敷)、 中島(八坂神社の森)、 原之郷(犬コウザキ)、 山の神(登内)、 山竹の尾(登内)である。 これは新たな狩りの始まりに際しての山の神への祈願でもある。



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