慶應義塾大学民族学考古学研究室の歴史

 三田における考古学、民族学の研究教育活動の開始は、七十数年前にさかのぼる。大正八年、移川子之蔵先生が人類学の講義を開始し、大正十三年には子安池谷貝塚の発掘調査がおこなわれた。そして、その同じ年に柳田国男先生が「民間伝承論」の名称で、日本の大学ではじめて、三田山上で民俗学を講ずることになった。
 その前後に三田に学んだ松本信広先生は柳田の一国民俗学を超えるべく、フランスのM. モースやM. グラネの薫陶をうけて、比較民族学の視点を確立し、日本民族の伝統文化のなかには、ひろく東南アジアからポリネシアにひろがる太平洋の周縁文化と共通する国際的な性格があることを主張した。先生の壮大な構想は、第二次大戦後ただちに、三田の考古学、民族学、歴史学、農村社会学を結集しておこなわれた九十九里地方の総合調査、また日本民族学協会に働きかけて組織したメコン河流域の稲作民族文化総合調査として実行にうつされた。まだ「学際性」などという言葉もなかったころのことであるが、その方法は全くインターディシプリナリーな地域研究の方法であった。
 その構想の一環として、古代独木舟の研究は、清水潤三先生によって完成し、江坂輝弥先生を中心としておこなわれた環状列石(ストーン・サークル)の調査は、考古学資料と神話、説話のかかわりについて強い関心を払う松本先生のもとで推進された。考古学と民族学の研究は、相互に関連しあって古代研究(アーケオシヴィリゼーション)をすすめるべきであるとする先生の考え方が研究室の活動の基調をなすものであった。発足十余年を数えることになった私達の若い専攻科も、当初から考古学と民族学の連携を基礎とした学問づくりを目指している。これも研究室の永い伝統の上に立ってのことである。

(雑誌『民族考古』創刊号(1992)の巻頭言として近森正先生からいただいた玉稿から引用させていただきました。)


 民族学考古学専攻は文学部史学科に属し、日本史専攻、東洋史専攻、西洋史専攻とともに、史学科を構成する4専攻の一つをなしている。史学科が設立されたのは1910年のことであるのに対し、民族学考古学専攻が他の3専攻から独立したのはようやく1979年のことであった。大学院が現実にオープンしたのは、それより更に3年後の1982年であったから、本専攻の大学院の歴史は、史学科85年の長い歴史に対して、まだ13年を経過したのみである。

(雑誌『民族考古』第3号(1996)の巻頭言として小川英雄先生よりいただいた玉稿から引用させていただきました。)


 25周年と言っても、実際にはそれ以前に史学科の中に民族学考古学コースと言う、専攻内専攻がすでにスタートしていたから、その分を加えると約30年近い年月がすでに経過していることになる。日本史、東洋史、西洋史からなる史学科のなかに、新たに民族学考古学専攻を立ち上げたいと言う考え方は、われわれの恩師にあたる、松本信広、清水潤三教授達の世代からの計画としてすでにあった。私達の世代は、その考え方を継承して実現を図ったというのが正しい。
 専攻の独立に際して最も考慮した点は、将来を見とおした新しい専攻の内実をどのようなものとするかということだった。その際には、日本の他の大学における考古学専攻のあり方を大いに参考にしたけれども、われわれの先輩たちが築いてきた成果をどのように盛り込み、かつ将来につなげる独自のカリキュラムを作っていくかという点が最大の問題だった。
 1971年から72年にかけてアメリカのイェール大学人類学部に留学したときの目的は、自分自身の考古学研究の考え方を充実させることにあったが、それと共に、アメリカの大学における考古学教育が、どのような枠組みと組織で行われているのかをじっくりと見てみたいという考えがあった。一年という短期の留学だったが、幸いラウス教授の指導と言う理想的な受け入れ先の状況に恵まれ、私なりの民族学考古学専攻というもののイメージがはっきりと捉えられるようになった。
 その成果の多くは、今日のわれわれの選考における枠組みや運営の方法に反映されているけれども、私個人の考え方の表明としては、1988年に出版した「考古学入門」の中に尽くされていると言って良いと思う。そこには私が留学で得た考古学に対する新しい考え方のなかで、日本の大学の研究・教育環境に取り入れる必要があると考えた部分について、整理して述べたつもりである。
 当然のこととして、30年以上の年月の経過は、彼我の学問研究・教育のあり方を大きく変えていった部分もある。これらについて、わらに改革を加え、われわれの専攻の充実に資したいという気持は強い。近年私が歴史考古学についての発言をくりかえし、アメリカと日本の歴史考古学の比較研究を試みようとしている点は、このような目的を達成するための試みの一つと言える。近年発展を続ける歴史考古学を、今後における考古学の枠組み全体の中でどのように位置付けるのかは、21世紀の考古学の教育と研究にとって、重要な意味を持っていると思うからである。

(慶應義塾大学民族学考古学専攻設立25周年記念論集『時空をこえた対話』巻頭言として鈴木公雄先生よりいただいた玉稿を引用させていただきました。)


 慶應義塾大学における考古学、民族学研究の半世紀を越える長い伝統のもとに、文学部史学科における、4つ目の専攻として民族学考古学専攻が溌溂として誕生してからおよそ20年になろうとしている。その間、社会の流れや学内事情、学生の専門分野の選択傾向にも変化が起こり、我が民族学考古学専攻にも様々な形の影響があったことも否めない。そのような中でも、誰の目にも明らかな変化は学部学生数の急増現象であろう。設立当初から10年ほどの間は、一学年数人であったのが、近年では四、五十人の大所帯になったことである。民族学や考古学を積極的に学び、社会に巣立っていく人が増えていることは、これを専門としている者にとって喜ばしいことである。

(雑誌『民族考古』第4号(1997)の巻頭言として阿部祥人先生よりいただいた原稿から引用させていただきました。)


歴代スタッフ一覧

お名前 専門領域 所属 現職
松本 信広 先生 比較民族学 慶應義塾大学文学部東洋史専攻
清水 潤三 先生 日本考古学 慶應義塾大学文学部国史専攻
江坂 輝弥 先生 日本考古学 慶應義塾大学文学部東洋史専攻
小川 英雄 先生 オリエント考古学 慶應義塾大学文学部民族学考古学専攻
近森 正 先生 オセアニア考古学・民族学 慶應義塾大学文学部民族学考古学専攻
鈴木 公雄 先生 日本考古学・歴史考古学 慶應義塾大学文学部民族学考古学専攻
中村 孚美 先生 都市人類学 慶應義塾大学文学部民族学考古学専攻
棚橋 訓 先生 文化人類学・歴史人類学 慶應義塾大学文学部民族学考古学専攻 お茶の水女子大学

top page