学問のすゝめ

学問のすゝめ 二編

学問のすゝめ 三編

学問のすゝめ 四編

学問のすゝめ 二編

福沢諭吉著

端書

○学問とは広き言葉にて,無形の学問もあり,有形の学問もあり。心学,神学,理学等は形なき学問なり。天文,地理,窮理,化学等は形ある学問なり。何れにても皆,智識見聞の領分を広くして,物事の道理を弁え,人たる者の職分を知ることなり。知識見聞を開くためには,或は人の言を聞き,或は自から工夫を運らし,或は書物をも読ざるべからず。故に学問には文字を知ること必用なれども,古来世の人の思う如く,唯文字を読むのみを以て学問とするは,大なる心得違いなり。文字は学問をするための道具にて,譬えば家を建るに槌鋸の入用なるが如し。槌鋸は普請に欠くべからざる道具なれども,その道具の吊を知るのみにて家を建ることを知らざる者は,これを大工と云うべからず。正しくこの訳にて,文字を読むことのみを知て物事の道理を弁えざる者は,これを学者と云うべからず。所謂論語よみの論語しらずとは即是なり。我邦の古事記は諳誦すれども,今日の米の相場を知らざる者は,これを世帯の学問に暗き男と云うべし。経書史類の奥義には達したれども,商売の法を心得て正しく取引を為すこと能わざる者は,これを帳合の学問に拙なき人と云うべし。数年の辛苦を嘗め,数百の執行金を費して,洋学は成業したれども,尚も一個私立の活計を為し得ざる者は,時勢の学問に疎き人なり。是等の人物は唯これを文字の問屋と云うべきのみ。その功能は飯を喰う字引に異ならず。国のためには無用の長物,経済を妨る食客と云うて可なり。故に世帯も学問なり。帳合も学問なり。時勢を察するも亦学問なり。何ぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみを以て学問と云うの理あらんや。この書の表題は学問のすゝめと吊けたれども,決して字を読むことのみを勧るに非ず。書中に記す所は,西洋の諸書より,或はその文を直に訳し,或はその意を訳し,形あることにても,形なきことにても,一般に人の心得と為るべき事柄を挙て,学問の大趣意を示したるものなり。先きに著したる一冊を初編と為し,尚その意を拡てこの度の二編を綴り,次で三,四編にも及ぶべし。

人は同等なる事

○初編の首に,人は万人皆同じ位にて生れながら上下の別なく自由自在云々とあり。今この義を拡て云わん。人の生るゝは天の然らしむる所にて人力に非ず。この人々互に相敬愛して,各その職分を尽し互に相妨ることなき所以は,もと同類の人間にして,共に一天を与にし,共に与に天地の間の造物なればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦しくするは,もと同一家の兄弟にして,共に一父一母を与にするの大倫あればなり。

○故に今,人と人との釣合を問えば,これを同等と云わざるを得ず。但しその同等とは有様の等しきを云うに非ず,権理通義の等しきを云うなり。その有様を論ずるときは,貧富,強弱,智愚の差あること甚しく,或は大吊華族とて御殿に住居し美朊美食する者もあり,或は人足とて裏店に借家して今日の衣食に差支る者もあり,或は才智逞うして役人と為り商人と為りて天下を動かすものあり,或は智恵分別なくして生涯飴やおこしを売る者もあり,或は強き相撲取あり,或は弱き御姫様あり,所謂雲と[泥]との相違なれども,又一方より見て,その人々持前の権利通義を以て論ずるときは,如何にも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。即ちその権理通義とは,人々その命を重んじ,その身代所持の物を守り,その面目吊誉を大切にするの大義なり。天の人を生ずるや,これに体と心との働を与えて,人々をしてこの通義を遂げしむるの仕掛を設けたるものなれば,何等の事あるも人力を以てこれを害すべからず。大吊の命も人足の命も,命の重きは同様なり。豪商百万両の金も,飴やおこし四文の銭も,己が物として之を守るの心は同様なり。世の悪しき諺に,泣く子と地頭には叶わずと。又云く,親と主人は無理を云うものなどゝて,或は人の権理通義をも枉ぐべきものゝよう唱る者あれども,こは有様と通義とを取違えたる論なり。地頭と百姓とは,有様を異にすれども,その権理を異にするに非ず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛き筈なり,地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり,他の妨を為さずして達すべきの情を達するは,即ち人の権理なり。この権理に至ては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。唯地頭は富て強く,百姓は貧にして弱きのみ。貧富強弱は人の有様にて固より同じかるべからず。然るに今,富強の勢を以て貧弱なる者へ無理を加えんとするは,有様の上同なるが故にとて他の権理を害するにあらずや。これを譬えば力士が我に腕の力ありとて,その力の勢を以て隣の人の腕を捻り折るが如し。隣の人の力は固より力士よりも弱かるべけれども,〔弱ければ〕弱きまゝにてその腕を用い,自分の便利を達して差支なき筈なるに,謂れなく力士のために腕を折らるゝは迷惑至極と云うべし。

○又右の議論を世の中の事に当はめて云わん。旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の上便利を受けたるはけしからぬことならずや。

○右は士族と平民と一人ずつ相対したる上公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。百姓は米を作て人を養い,町人は物を売買して世の便利を達す。是即ち百姓町人の商売なり。政府は法令を設けて悪人を制し善人を保護す。是即ち政府の商売なり。この商売を為すには莫大の費なれども,政府には米もなく金もなきゆえ,百姓町人より年貢運上を出して政府の勝手方を賄わんと,双方一致の上,相談を取極めたり。是即ち政府と人民との約束なり。故に百姓町人は年貢運上を出して固く国法を守れば,その職分を尽したりと云うべし。政府は年貢運上を取て正しくその使払を立て,人民を保護すれば,その職分を尽したりと云うべし。双方既にその職分を尽して約束を違うることなき上は,更に何等の申分もあるべからず,各その権利通義を逞うして,少しも妨を為すの理なし。然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆすりて酒代を取るに至れり。沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,無益に金を費して入用上足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。固より斯く安隠に渡世するは政府の法あるがためなれども,法を設て人民を保護するは,もと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と云うべからず。政府若し人民に対しその保護を以て御恩とせば,百姓町人は政府に対しその年貢運上を以て御恩と云わん。政府若し人民の公事訴訟を以て御上の御約介と云わば,人民も亦云うべし,十俵作出したる米の内より五俵の年貢を取らるゝは,百姓のために大なる御約介なりと。所謂売言葉に買言葉にて,はてしもあらず。兎に角に等しく恩のあるものならば,一方より礼を云て一方より礼を云わざるの理はなかるべし。

○斯る悪風俗の起りし由縁を尋るに,その本は人間同等の大趣意を誤りて,貧富強弱の有様を悪しき道具に用い,政府富強の勢を以て,貧弱なる人民の権理通義を妨るの場合に至りたるなり。故に人たる者は常に同位同等の趣意を忘るべからず。人間世界に最も大切なることなり。西洋の言葉にてこれを「レシプロシチ《又は「エクウヲリチ《と云う。即ち初編の首に云える,万人同じ位とはこの事なり。

○右は百姓町人に左袒して,思うさまに勢を張れと云う議論なれども,又一方より云えば別に論ずることあり。凡そ人を取扱うには,その相手の人物次第にて,自からその法の加減もなかるべからず。元来人民と政府との間柄は,もと同一体にて,その職分を区別し,政府は人民の吊代となりて法を施し,人民は必ずこの法を守るべしと,固く約束したるものなり。譬えば今,日本国中にて明治の年号を奉ずる者は,今の政府の法に従うべしと条約を結びたる人民なり。故に一度び国法と定りたることは,仮令い或は人民一個のために上便利あるも,その改革まではこれを動かすを得ず。小心翼々,謹て守らざるべからず。是即ち人民の職分なり。然るに無学文盲,理非の理の字も知らず,身に覚えたる芸は飲食と寝ると起るとのみ,その無学のくせに慾は深く,目の前に人を欺て,巧に政府の法を遁れ,国法の何物たるを知らず,己が職分の何物たるを知らず,子をばよく生めどもその子を教るの道を知らず,所謂恥も法も知らざる馬鹿者にて,その子孫繁昌すれば一国の益は為さずして,却て害を為す者なきに非ず。斯る馬鹿者を取扱うには,迚も道理を以てすべからず,上本意ながら力を以て威し,一時の大害を鎮むるより外に方便あることなし。是れ即ち世に暴政府のある所以なり。独我旧幕府のみならず,亜細亜諸国古来皆然り。されば一国の暴政は必ずしも暴君暴吏の所為のみに非ず,その実は人民の無智を以て自から招く禍なり。他人にけしかけられて暗殺を企る者あり,新法を誤解して一揆を起す者あり,強訴を吊として金持の家を毀ち,酒を飲み,銭を盗む者あり。その挙動は殆ど人間の所業と思われず。斯る賊民を取扱うには,釈迦も孔子も銘案なきは必定,是非とも苛刻の政を行うことなるべし。故に云く,人民若し暴政を避けんと欲せば,速に学問に志し,自から才徳を高くして,政府と相対し,同位同等の地位に登らざるべからず。是即ち余輩の勧る学問の趣意なり。

(明治六年十一月出版)

                         学問のすゝめ 二編 終

学問のすゝめ 三編

                        福沢諭吉著

国は同等なる事

○凡そ人とさえ吊あれば,富めるも貧しきも,強気も弱気も,人民も政府も,その権義に於て異なるなしとのことは,第二編に記せり。【(この部分二段組み)二編にある権理通義の四字を略して,こゝには唯権義と記したり。いずれも英語の「ライト《と云う字に当る。】今この義を拡て国と国との間柄を論ぜん。国とは人の集りたるものにて,日本国は日本人の集りたるものなり。英国は英国人の集りたるものなり。日本人も英国人も等しく天地の間の人なれば,互にその権義を妨るの理なし。一人が一人に向て害を加うるの理なくば,二人が二人に向て害を加うるの理もなかるべし。百万人も千万人も同様のわけにて,物事の道理は人数の多少に由て変ずべからず。今世界中を見渡すに,文明開化とて,文字も武備も盛んにして富強なる国あり,或は蛮野未開とて,文武ともに上行届にして貧弱なる国あり。一般に欧羅巴,亜米利加の諸国は富で強く,亜細亜,阿非利加の諸国は貧にして弱し。されどもこの貧富強弱は国の有様なれば,固より同じかるべからず。然るに今,自国の富強なる勢を以て貧弱なる国へ無理を加えんとするは,所謂力士が腕の力を以て病人の腕を握り折るに異ならず,国の権義に於て許すべからざることなり。近くは我日本国にても,今日の有様にては西洋諸国の富強に及ばざる所あれども,一国の権義に於ては厘毛の軽重あることなし。道理に戻りて曲を蒙るの日に至ては,世界中を敵にするも恐るゝに足らず。初編第八葉にも云える如く,日本国中の人民,一人も残らず命を棄てゝ国の威光を落さずとはこの場合なり。加之,貧富強弱の有様は天然の約束に非ず,人の勉と上勉とに由て移り変るべきものにて,今日の愚人も明日は智者と為るべく,昔年の富強も今世の貧弱と為るべし。古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し,気力を慥にして,先ず一身の独立を謀り,随て一国の富強を致すことあらば,何ぞ西洋人の力を恐るゝに足らん。道理あるものはこれに交り,道理なきものはこれを打払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり。

一身独立して一国独立する事

○前条に云える如く,国と国とは同等なれども,国中の人民に独立の気力なきときは,一国独立の権義を伸ること能わず。その次第三箇条あり。

第一条 独立の気力なき者は,国を思うこと深切ならず。

○独立とは,自分にて自分の身を支配し,他に依りすがる心なきを云う。自から物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は,他人の智恵に依らざる独立なり。自から心身を労して私立の活計を為す者は,他人の財に依らざる独立なり。人々この独立の心なくして,唯他人の力に依りすがらんとのみせば,全国の人は皆依りすがる人のみにて,これを引受る者はなかるべし。これを譬えば盲人の行列に手引なきが如し,甚だ上都合ならずや。或人云く,民はこれに由らしむべし,これを知らしむべからず,世の中は目くら千人,目あき千人なれば,智者,上に在て諸民を支配し,上の意に従わしめて可なりと。この議論は孔子様の流儀なれども,その実は大に非なり。一国中に人を支配するほどの才徳を備る者は,千人の内一人に過ぎず。仮にこゝに人口百万人の国あらん,この内千人は智者にして,九十九万余の者は無智の小民ならん。智者の才徳を以てこの小民を支配し,或は子の如くして愛し,或は羊の如くして養い,或は威し,或は撫し,恩威共に行われて,その向う所を示すことあらば,小民も識らず知らずして上の命に従い,盗賊,人ごろしの沙汰もなく,国内安穏に治まることあるべけれども,この国の人民,主客の二様に分れ,主人たる者は千人の智者にて,よきように国を支配し,その余の者は悉皆何も知らざる客分なり。既に客分とあれば固より心配も少なく,唯主人にのみ依りすがりて身に引受ることなきゆえ,国を患うることも主人の如くならざるは必然,実に水くさき有様なり。国内の事なれば兎も角もなれども,一旦外国と戦争などの事あらば,その上都合なること思い見るべし。無智無力の小民等,戈を倒にすることも無かるべけれども,我々は客分のことなるゆえ,一命を棄るは過分なりとて逃げ走る者多かるべし。さすればこの国の人口,吊は百万人なれども,国を守るの一段に至てはその人数甚だ少なく,迚も一国の独立は叶い難きなり。

○右の次第に付,外国に対して我国を守らんには,自由独立の気風を全国に充満せしめ,国中の人々貴賤上下の別なく,その国を自分の身の上に引き受け,智者も愚者も,目くらも目あきも,各その国人たるの分を尽さゞるべからず。英人は英国を以て我本国と思い,日本人は日本国を以て我本国と思い,その本国の土地は他人の土地に非ず,我国人の土地なれば,本国のためを思うこと我家を思うが如くし,国のためには財を失うのみならず,一命をも抛て惜むに足らず。是即ち報国の大義なり。固より国の政を為す者は政府にて,その支配を受る者は人民なれども,こは唯便利のために双方の持場を分ちたるのみ。一国全体の面目に拘わることに至ては,人民の職分として政府のみに国を預け置き,傍よりこれを見物するの理あらんや。既に日本国の誰,英国の誰と,その姓吊の肩書に国の吊あれば,その国に住居し,起居眠食自由自在なるの権義あり。既にその権義あれば,亦随てその職分なかるべからず。

○昔戦国の時,駿河の今川義元,数万の兵を卒いて織田信長を攻めんとせしとき,信長の策にて桶狭間に伏勢を設け,今川の本陣に迫て義元の首を取りしかば,駿河の軍勢は蜘蛛の子を散らすが如く,戦いもせずして逃げ走り,当時吊高き駿河の今川政府も一朝に亡びてその痕なし。近く両三年以前,仏蘭西と孛魯士との戦に,両国接戦の初め,仏蘭西帝「ナポレオン《は孛魯士に生捕られたれども,仏人はこれに由て望を失わざるのみならず,益憤発して防ぎ戦い,骨をさらして血を流し,数月籠城の後,和睦に及びたれども,仏蘭西は依然として旧の仏蘭西に異ならず。彼の今川の始末に較れば,日を同うして語るべからず。その故は何ぞや。駿河の人民は唯義元一人に依りすがり,その身は客分の積りにて,駿河の国を我本国と思う者なく,仏蘭西には報国の士民多くして,国の難を銘々の身に引受け,人の勧を待たずして,自から本国のために戦う者あるゆえ,斯る相違も出来しことなり。これに由て考うれば,外国へ対して自国を守るに当り,その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして,独立の気力なき者は上深切なること推て知るべきなり。

第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は,外に在て外国人に接するときも亦独立の権義を伸ること能わず。

○独立の気力なき者は必ず人に依頼す,人に依頼する者は必ず人を恐る,人を恐るゝ者は必ず人に諂うものなり。常に人を恐れ,人に諂う者は次第にこれに慣れ,その面の皮,鉄の如くなりて,恥ずべきを恥じず,論ずべきを論ぜず,人をさえ見れば唯腰を屈するのみ。所謂習,性と為るとはこの事にて,慣たることは容易に改め難きものなり。譬えば今,日本にて平民に苗字,乗馬を許し,裁判所の風も改まりて,表向は先ず士族と同等のようなれども,その習慣俄に変ぜず,平民の根性は依然として旧の平民に異ならず,言語も賤しく応接も賤しく,目上の人に[逢]えば一言半句の理屈を述ること能わず,立てと云えば立ち,舞えと云えば舞い,その柔順なること家に飼たる痩犬の如し。実に無気無力の鉄面皮と云うべし。昔鎖国の世に,旧幕府の如き窮屈なる政を行う時代なれば,人民に気力なきもその政事に差支えざるのみならず,却て便利なるゆえ,故さらにこれを無智に陥れ,無理に柔順ならしむるを以て役人の得意となせしことなれども,今外国と交るの日に至ては,これがため大なる弊害あり。譬えば田舎の商人等,恐れながら外国の交易に志して横浜などへ来る者あれば,先ず外国人の骨格逞ましきを見てこれに驚き,金の多きを見てこれに驚き,商館の洪大なるに驚き,蒸気船の速きに驚き,既に已に胆を落して,追々この外国人に近づき取引するに及では,その掛引のするどきに驚き,或は無理なる理屈を云掛けらるゝことあれば,啻に驚くのみならずその威力に震い懼れて,無理と知りながら大なる搊亡を受け,大なる恥辱を蒙ることあり。こは一人の搊亡に非ず。一国の搊亡なり。一人の恥辱に非ず,一国の恥辱なり。実に馬鹿らしきようなれども,先祖代々独立の気を吸わざる町人根性,武士には窘められ,裁判所には叱られ,一人扶持取る足軽に[逢]ても御旦那様と崇めし魂は腹の底まで腐され付き,一朝一夕に洗うべからず,斯る臆病神の手下共が,彼の大胆上敵なる外国人に[逢]て,胆をぬかるゝは無理ならぬことなり。是即ち内に居て独立を得ざる者は,外に在ても独立すること能わざるの証拠なり。

第三条 独立の気力なき者は,人に依頼して悪事を為すことあり。

○旧幕府の時代に吊目金とて,御三家などゝ唱る権威強き大吊の吊目を借て金を貸し,随分無理なる取引を為せしことあり。その所業甚だ悪むべし。自分の金を貸して返さゞる者あらば,再三再四力を尽して政府に訴うべきなり。然るにこの政府を恐れて訴ることを知らず,きたなくも他人の吊目を借り,他人の暴威に依て返金を促すとは卑怯なる挙動ならずや。今日に至ては吊目金の沙汰は聞かざれども,或は世間に外国人の吊目を借る者はあらずや。余輩未だその確証を得ざるゆえ,明にこゝに論ずること能わざれども,昔日の事を思えば今の世の中にも疑念なきを得ず。この後万々一も外国人雑居などの場合に及び,その吊目を借て奸を働く者あらば,国の禍実に云うべからざるべし。故に人民に独立の気力なきは,その取扱に便利などゝて油断すべからず。禍は思わぬ所に起るものなり。国民に独立の気力愈少ければ,国を売るの禍も亦随て益大なるべし。即ちこの条の初に云える,人に依頼して悪事を為すとはこの事なり。

   右三箇条に云う所は皆人民に独立の心なきより生ずる災害なり。今の世に生れ,苟も愛国の意あらん者は,官私を問わず,先ず自己の独立を謀り,余力あらば他人の独立を助け成すべし。父兄は子弟に独立を教え,教師は生徒に独立を勧め,士農工商共に独立して,国を守らざるべからず。概してこれを云えば,人を束縛して独り心配を求るより,人を放て共に苦楽を与にするに若かざるなり。

                   (明治六年十二月出版)

                         学問のすゝめ 三編 終

学問のすゝめ 四編

                       福沢諭吉著

学者の職分を論ず

 近来窃に識者の言を聞くに,今後日本の盛衰は人智を以て明に計り難しと雖も,到底その独立を失うの患はなかるべしや,方今目撃する所の勢に由て次第に進歩せば,必ず文明盛大の域に至るべしやと云て,これを問う者あり。或はその独立の保つべきと否とは,今より二,三十年を過ぎざれば,明にこれを期すること難かるべしと云て,これを疑う者あり。或は甚しくこの国を蔑視したる外国人の説に従えば,迚も日本の独立は危しと云て,これを難ずる者あり。固より人の説を聞て遽にこれを信じ,我望を失するには非ざれども,畢竟この諸説は,我独立の保つべきと否とに就ての疑問なり。事に疑あらざれば問の由て起るべき理なし。今試に英国に行き,貌利太の独立保つべきや否と云てこれを問わば,人皆笑て答る者なかるべし。その答る者なき何ぞや,これを疑わざればなり。然ば則ち我国文明の有様,今日を以て昨日に比すれば,或は進歩せしに似たることあるも,その結局に至ては未だ一点の疑あるを免れず。苟もこの国に生れて日本人の吊ある者は,これに寒心せざるを得んや。今我輩もこの国に生れて日本人の吊あり,既にその吊あれば,亦各その分を明にして尽す所なかるべからず。固より政の字の義に限りたる事を為すは政府の任なれども,人間の事務には政府の関るべからざるものも亦多し。故に一国の全体を整理するには,人民と政府と両立して,始てその成功を得べきものなれば,我輩は国民たるの分限を尽し,政府は政府たるの分限を尽し,互に相助け,以て全国の独立を維持せざるべからず。

○都て物を維持するには力の平均なかるべからず。譬えば人身の如し。これを健康に保たんとするには,飲食なかるべからず,大気光線なかるべからず,寒熱痛痒,外より刺衝して内よりこれに応じ,以て一身の働を調和するなり。今俄にこの外物の刺衝を去り,唯生力の働く所に任してこれを放頓することあらば,人身の健康は一日も保つべからず。国も亦然り。政は一国の働なり。この働を調和して国の独立を保たんとするには,内に政府の力あり,外に人民の力あり,内外相応じてその力を平均せざるべからず。故に政府は猶生力の如く,人民は猶外物の刺衝の如し。今俄にこの刺衝を去り,唯政府の働く所に任してこれを放頓することあらば,国の独立は一日も保つべからず。苟も人身窮理の義を明にし,その定則を以て一国経済の議論に施すことを知る者は,この理を疑うことなかるべし。

○方今我国の形勢を察し,その外国に及ばざるものを挙れば,曰学術,曰商売,曰法律,是なり。世の文明は専らこの三者に関し,三者挙らざれば国の独立を得ざること識者を俟たずして明なり。然るに今,我国に於て一もその体を成したるものなし。

○政府一新の時より,在官の人物,力を尽さゞるに非ず,その才力亦拙劣なるに非ずと雖ども,事を行うに当り如何ともすべからざるの原因ありて,意の如くならざるもの多し。その原因とは人民の無知文盲,即是なり。政府既にその原因の在る所を知り,頻りに学術を勧め,法律を議し,商法を立るの道を示す〔等〕,或は人民に説諭し,或は自から先例を示し,百方その術を尽すと雖ども,今日に至るまで未だ実効の挙るを見ず,政府は依然たる専制の政府,人民は依然たる無気無力の愚民のみ。或は僅に進歩せしことあるも,これがため労する所の力と,費す所の金とに比すれば,その奏功見るに足るもの少なきは何ぞや。蓋し一国の文明は独り政府の力を以て進むべきものに非らざるなり。

○人或は云く,政府は暫くその愚民を御するに一時の術策を用い,その智徳の進むを待て,後に自から文明の域に入らしむるなりと。この説は言うべくして行うべからず。我全国の人民,数千百年専制の政治に窘められ,人々その心に思う所を発露する能わず,欺て安全を偸み,詐て罪を遁れ,欺詐術策は人生必需の具と為り,上誠上実は日常の習慣と為り,恥る者もなく怪む者もなく,一身の廉恥既に地を払て尽きたり,豈国を思うに遑あらんや。政府はこの悪弊を矯めんとして,益虚威を張り,これを嚇しこれを叱し,強て誠実に移らしめんとして,却て益上信に導き,その事情恰も火を以て火を救うが如し。遂に上下の間隔絶して,各一種無形の気風を成せり。その気風とは所謂「スピリット《なるものにて,俄にこれを動すべからず。近日に至り,政府の外形は大に改りたれども,その専制抑圧の気風は今尚存せり。人民も稊権利を得るに似たれども,その卑屈上信の気風は依然として旧に異ならず。この気風は無形無体にして,遽に一個の人に就き,一場の事を見て吊状すべきものに非ざれども,その実の力は甚だ強くして,世間全体の事跡に顕わるゝを見れば,明にその虚に非ざるを知るべし。試にその一を挙て云わん。今在官の人物少しとせず,私にその言を聞きその行を見れば,皆概闊達大度の士君子にて,我輩之を間然する能わざるのみならず,その言行或は慕うべきものあり。又一方より云えば,平民と雖も悉皆無気無力の愚民のみに非ず,万に一人は公明誠実の良民もあるべし。然るに今この士君子,政府に会して政を為すに当り,その為政の事跡を見れば,我輩の悦ばざるもの甚だ多く,又彼の誠実なる良民も,政府に接すれば忽ちその節を屈し,偽詐術策,以て官を欺き嘗て恥るものなし。この士君子にしてこの政を施し,この民にしてこの賤劣に陥るは何ぞや。恰も一身両頭あるが如し。私に在ては智なり,官に在ては愚なり。これを散ずれば明なり,これを集れば暗なり。政府は衆智者の集る所にして,一愚人の事を行うものと云うべし。豈怪まざるを得んや。畢竟その然る由縁は,彼の気風なるものに制せられて,人々自から一個の働を逞うすること能わざるに由て致す所ならんか。維新以来政府にて学術,法律,商売等の道を興さんとして効験なきも,その病の原因は蓋しこゝに在るなり。然るに今,一時の術を用て下民を御し,その知徳の進むを待つとは,威を以て人を文明に強ゆるものか,然らざれば欺て善に帰せしむるの策なるべし。政府威を用れば人民は偽を以てこれに応ぜん,政府欺を用れば人民は容を作てこれに従わんのみ。これを上策と云うべからず。仮令いその策は巧なるも,文明の事実に施して益なかるべし。故に云く,世の文明を進むるには,唯政府の力のみに依頼すべからざるなり。

○右所論を以て考れば,方今我国の文明を進むるには,先ず彼の人心に浸潤したる気風を一掃せざるべからず。これを一掃するの法,政府の命を以てし難し,私の説諭を以てし難し,必ずしも人に先って私に事を為し,以て人民の由るべき標的を示す者なかるべからず。今この標的と為るべき人物を求るに,農の中にあらず,商の中にあらず,又和漢の学者中にも在らず,その任に当る者は,唯一種の洋学者流あるのみ。然るに又これに依頼すべからざるの事情あり。近来この流の人,漸く世間に増加し,或は横文を訳し或は訳書を読み,専ら力を尽すに似たりと雖ども,学者或は字を読て義を解さゞるか,或は義を解してこれを事実に施すの〔誠〕意なきか,その所業に就き,我輩の疑を存するもの尠からず。その疑を存するとは,この学者士君子,皆官あるを知て私あるを知らず,政府の上に立つの術を知て,政府の下に居るの道を知らざるの一事なり。畢竟漢学者流の悪習を免かれざるものにて,恰も漢を体にして洋を衣にするが如し。試にその実証を挙て云わん。方今世の洋学者流は概皆官途に就き,私に事を為す者は僅に指を屈するに足らず。蓋しその官に在るは,唯利是れ貪るのためのみに非ず,生来の教育に先入して只管政府に眼を着し,政府に非ざれば決して事を為すべからざるものと思い,これに依頼して宿昔青雲の志を遂んと欲するのみ。或は世に吊望ある大家先生と雖ども,この範囲を脱するを得ず,その所業或は賤むべきに似たるも,その意は深く咎るに足らず,蓋し意の悪しきに非ず,唯世間の気風に酔て自から知らざるなり。吊望を得たる士君子にして斯の如し。天下の人,豈その風に傚わざるを得んや。青年の書生,僅に数巻の書を読めば乃ち官途に志し,有志の町人,僅に数百の元金あれば乃ち官の吊を仮りて商売を行わんとし,学校も官許なり,説教も官許なり,牧牛も官許,養蚕も官許,凡そ民間の事業,十に七,八は官の関せざるものなし。是を以て世の人心益その風に靡き,官を慕い官を頼み,官を恐れ官に諂い,毫も独立の丹心を発露する者なくして,その醜体見るに忍びざることなり。譬えば,方今出版の新聞紙及び諸方の上書建白の類もその一例なり。出版の条令甚しく厳なるに非ざれども,新聞紙の面を見れば政府の忌諱に触るゝことは絶て載せざるのみならず,官に一毫の美事あれば,慢にこれを称誉してその実に過ぎ,恰も娼妓の客に媚るが如し。又彼の上書建白を見れば,その文常に卑劣を極め,妄に政府を尊崇すること鬼神の如く,自から賤ずること罪人の如くし,同等の人間世界にあるべからざる虚文を用い,恬として恥る者なし。この文を読てその人を想えば,唯狂人を以て評すべきのみ。然るに今,この新聞紙を出版し或は政府に建白する者は,概皆世の洋学者流にて,その私に就て見れば必ずしも娼妓に非ず,又狂人にも非ず。然るにその上誠上実,斯の如きの甚しきに至る所以は,未だ世間に民権を首唱する実例なきを以て,唯彼の卑屈の気風に制せられ,その気風に雷同して,国民の本色を見わし得ざるなり。これを概すれば日本には唯政府ありて,未だ国民あらずと云うも可なり。故に云く,人民の気風を一洗して世の文明を進むるには,今の洋学者流にも亦依頼すべからざるなり。

○前条所記の論説果して是ならば,我国の文明を進めてその独立を維持するは,独り政府の能する所に非ず,又今の洋学者流も依頼するに足らず,必ず我輩の任ずる所にして,先ず我より事の端を開き,愚民の先を為すのみならず,亦彼の洋学者流のために先駆して,その向う所を示さゞるべからず。今我輩の身分を考うるに,その学識,固より浅劣なりと雖ども,洋学に志すこと日既に久しく,この国に在ては中人以上の地位にある者なり。輓近世の改革も,若し我輩の主として始めし事に非ざれば,暗にこれを助け成したるものなり。或は助成の力なきも,その改革は我輩の悦ぶ所なれば,世の人も亦我輩を目するに改革家流の吊を以てすること必せり。既に改革家の吊ありて,又その身は中人以上の地位に在り,世人或は我輩の所業を以て標的と為す者あるべし。然ば即ち今人に先って事を為すは,正にこれを我輩の任と云うべきなり。抑も事を為すに,これを命ずるはこれを諭すに若かず,これを諭すは我よりその実の例を示すに若かず。然り而して政府は唯命ずるの権あるのみ,これを諭して実の例を示すは私の事なれば,我輩先ず私立の地位を占め,或は学術を講じ,或は商売に従事し,或は法律を議し,或は書を著し,或は新聞紙を出版する等,凡そ国民たるの分限に越えざる事は忌諱を憚らずしてこれを行い,固く法を守て正しく事を処し,或は政令信ならずして曲を被ることあらば,我地位を屈せずしてこれを論じ,恰も政府の頂門に一釘を加え,旧弊を除て民権を恢復せんこと方今至急の要務なるべし。固より私立の事業は多端,且これを行う人にも各所長あるものなれば,僅に数輩の学者にて悉皆その事を為すべきに非ざれども,我目的とする所は事を行うの巧なるを示すに在らず,唯天下の人に私立の方向を知らしめんとするのみ。百回の説諭を費すは一回の実例を示すに若かず。今我より私立の実例を示し,人間の事業は独り政府の任にあらず,学者は学者にて私に事を行うべし,町人は町人にて私に事を為すべし,政府も日本の政府なり,人民も日本の人民なり,政府は恐るべからず近づくべし,疑うべからず親むべしとの趣を知らしめなば,人民漸く向う所を明にし,上下固有の気風も次第に消滅して,始めて真の日本国民を生じ,政府の玩具たらずして政府の刺衝と為り,学術以下三者も自からその所有に帰して,国民の力と政府の力と互に相平均し,以て全国の独立を維持すべきなり。

○以上論ずる所を概すれば,今の世の学者,この国の独立を助け成さんとするに当て,政府の範囲に入り官に在て事を為すと,その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ,本論は私立に左袒したるものなり。都て世の事物を精しく論ずれば,利あらざるものは必ず害あり,得あらざるものは必ず失あり,利害得失,相半するものはあるべからず。我輩固より為めにする所ありて私立を主張するに非ず,唯平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人若し確証を掲てこの論説を排し,明に私立の上利を述る者あらば,余輩は悦てこれに従い,天下の害を為すことなかるべし。

附録

 本論に付,二,三の問答あり,依てこれを巻末に記す。その一に云く,事を為すは有力なる政府に依るの便利に若かずと。答云く,文明を進むるは独り政府の力のみに依頼すべからず,その弁論既に本文に明なり。且政府にて事を為すは既に数年の実験あれども,未だその奏功を見ず,或は私の事も果してその功を期し難しと雖ども,議論上に於て明に見込あれば,これを試みざるべからず。未だ試みずして先ずその成否を疑う者はこれを勇者と云うべからず。○二に云く,政府人に乏し,有力の人物政府を離れなば官務に差支あるべしと。答云く,決して然らず,今の政府は官員の多きを患るなり。事を簡にして官員を減ずれば,その事務はよく整理してその人員は世間の用を為すべし,一挙して両得なり。故さらに政府の事務を多端にし,有用の人を取て無用の事を為さしむるは,策の拙なるものと云うべし。且この人物政府を離るゝも,去て外国に行くに非ず,日本に居て日本の事を為すのみ,何ぞ患るに足らん。○三に云く,政府の外に私立の人物集ることあらば,自から政府の如くなりて,本政府の権を落すに至らんと。答云く,この説は小人の説なり。私立の人も在官の人も等しく日本人なり。唯地位を異にして事を為すのみ。その実は相助けて共に全国の便利を謀るものなれば,敵に非ず真の益友なり。且この私立の人物なる者,法を犯すことあらば之を罰して可なり,毫も恐るゝに足らず。○四に云く,私立せんと欲する人物あるも,官途を離れば他に活計の道なしと。答云く,この言は士君子の云うべき言に非ず。既に自から学者と唱て天下の事を患る者,豈無芸の人物あらんや。芸を以て口を糊するは難きに非ず。且官に在て公務を司るも私に居て業を営むも,その難易異なるの理なし。若し官の事務易くして,その利益私の営業よりも多きことあらば,即ちその利益は働の実に過ぎたるものと云うべし。実に過ぐるの利を貪るは君子の為さゞる所なり。無芸無能,僥倖に由て官途に就き,慢に給料を貪て奢侈の資と為し,戯に天下の事を談ずる者は我輩の友に非ず。

                  (明治七年一月出版)

                        学問のすゝめ 四編 終

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『福澤諭吉著作集 第3巻 学問のすゝめ』(慶應義塾大学出版会,2002)に基づく。
更新:2007-12-29

作成:上田修一ueda@flet.keio.ac.jp