概要:
私は自由なのか。自由は一方で私たちの存在と社会の根本をなしているようにも見え、他方でそれは因果的に規定された物理的世界のどこにも場をもたない一種の錯覚とされる。そのような自由をめぐる現代哲学の議論はますますその錯綜の度合いを高め、その行方は見通しがたい。
こうした状況の中で、青山拓央は『時間と自由意志――自由は存在するか』(2016年、筑摩書房)において、時間と様相の問題を掘り下げる独創的なモデルである「分岐問題」を提示することを通して、両立的自由・自由意志・不自由(そして無自由)といった自由のさまざまな在り方に新たな光を当てた。他方、斎藤慶典は『私は自由なのかもしれない――〈責任という自由〉の形而上学』(2018年、慶應義塾大学出版会)において、マイノング、フッサール、メルロ=ポンティへと受け継がれた「基づけ」理論を心身問題に適用して独自の生命の哲学を展開すると共に、その基盤の上にハイデガーの「死と良心の分析論」ならびにレヴィナスの「他者」の哲学に着想を得て「純粋な可能性」として自由の理念を提示した。
本ワークショップでは、一見すると背景ならびに方向性がまったく異なるように見える両哲学者が自由という共通の問題に向かい合い議論を積み重ねることで、当の問題の一層の掘り下げを試みる。司会には、とりわけ分析哲学系の自由論に造詣の深い柏端達也が当たる(青山と共に論集『自由意志 スキナー/デネット/リベット』(2020年、岩波書店)の監修に当たり、同書の「イントロダクション」も共に執筆している)。
ワークショップは、まず斎藤と青山がそれぞれ40分ずつ提題を行なう。休憩を挟んで後半の40分は柏端の司会のもと、斎藤と青山による集中的な討議に充てる。