国文学専攻というところで日本語学を担当しています。日本語を研究しているというと、「自分の日本語が間違っていないかチェックされてしまう」と言われがちなのですが、現代の多くの日本語研究者は日本語の番人を務めるべく研究しているわけではないので、怖がらないでほしいと思います。
では日本語研究者はなにをしている人々なのか。日本語を研究するということは共通点となるわけですが、その対象や迫り方となると多彩で、現代標準語や有名な古典作品の言語の研究を対象にする人ももちろん多いのですが、記録以前のことばのありさまを復元したり、いままさに消えつつあることば(死語や継承者の途絶えた方言)やあらたに生まれ行くことば(さまざまな地域での新語、新しい文法)の記録に取り組んだりする人もいます。細かな差はあれど、日本語にかかわる事実と仕組みの記録と解明が仕事でしょうか。
そういうおまえはどうなのだといえば、現代日本語を中心にその仕組みを幅広く教えつつ、「日本語を書き表すためにもっとも幅広く日本語を母語とする人々に用いられている文字」(以下、かんたんに日本語の文字と呼びます)の変化を研究しています。とりわけ、19世紀における文字の変容に興味を持ってきました。19世紀は、ナポレオンがヨーロッパを席巻したり、太平天国の乱があったり、パリ万博があったりした世紀です。日本では、蝦夷奉行設置、文政の改革、明治維新、大日本帝国憲法公布と世界の動きに応じた変化がありました。日本語の文字も、かなりおおざっぱにいえば、候文・行草書体(読めない文字としてのいわゆる「くずし字」)からデアル体・楷書体へと変化します。なお、文体は文字とは直接は関わらないものの、なんのために書くものかということは文字の選択に大きく関わることなので含めてあります。博士論文では、その移行の中で、1900年に平仮名の種類が現在のものに統一され、それ以外が変体仮名として排除されたという現象を研究しました。
こんなさいきんのことに未解明のことがらがあるのかともしかしたら驚かれるかもしれませんが、なぜいまの平仮名が選ばれたのかといったことがらも十分に検討されてきたとはいえない状況でした。日本では公的な記録が大事にされないことが多いので、経過を事細かに辿ることが難しいという事情もあり、どのような議論を経て意思決定されたのかもはやあきらかにできません。とはいえ、いままで注目されてこなかった明治期の民間教科書にたいする文字統制に着目することで、これまで見落とされてきた現場における実践に光を当て、その変化をすくい取ることに成功しました(『近代平仮名体系の成立』と題して2021年に出版されています)。