キリスト教世界において、神を直接知るという経験は、まさにそのような筆舌に尽くし難いものとされています。キリスト教において、神は言葉や概念を超えた存在であり、つまり神も、その経験も、本来は言語化されえないからです。神を経験したと考える女性たちは言葉を必死に紡ぎますが、それは決して共有されないもので、書き手も読み手もそのことは分かっていました。言語化できないもの、おそらく伝わらないもの。それにも関わらず、中世ヨーロッパでは多くの人がそれについて執筆したのです。
実際には、私たちの日々の経験だって他者に完全に伝えられるものではありません。しかし中世のこの文学ジャンルの興味深いところは、言語化できないということを強調しつつ、言葉を尽くして言語化するという点です。女性たちがもっぱらこのようなテクストのみを残したことには「女性はキリスト教義に関することに一切立ち入れない」という社会的背景が大きく関わっています。しかし同時に、神という語り得ないものを語り、またそれが語られることを求めるという、女性たちを取り巻く大きなムーブメントがあったことも確かです。
私は、特殊ともいえるこのような文学を媒介に、人が読むこと・書くこと、そして文学と社会との関係にフォーカスをあてた研究をしています。