イタリアのフィレンツェにあるパラッツォ・ピッティは、15世紀の後半に建てられた宮殿です。その後拡張されて、16~18世紀はトスカーナ大公の邸館でした。現在は美術館となり、毎年ファッションショーが開かれることでも知られています。

私の専門はイタリアのバロック建築ですが、フィレンツェに留学して以来、パラッツォ・ピッティの研究を15年近く続けています。この建物の大きな謎が、設計者が誰かということ。もともとは大建築家ブルネレスキだと考えられていましたが、20世紀に入ってそれが疑われ、10年程前からフィレンツェでも本格的な研究がスタート。西洋建築史上の大きな問題となっています。

設計者につながるような契約書や支払記録が、古文書の中から出てくれば決着するのですが、その可能性はほぼありません。では、どうするか?結局、様式やデザインの特徴から設計者を同定していくことになります。推理小説のような世界です。

推理法は2つ。まずは、とことんディテールにこだわる。地元の有名な研究者は、窓のつけ柱の柱頭のデザインに注目。古代ローマに優れた理解を持つ、ある建築家であるという説を唱えています。パラッツォ・ピッティは、正面の幅が250mもある巨大な石造りの堂々たる建物ですが、設計者を同定するカギが、ほんの小さな部分であるというのも、ちょっと皮肉な感じがします。もう一つの方法は、施主の社会的・経済的状況などから、特定の建築家との関係を類推すること。建築史や美術史の観点だけでは答えが出ない部分に、他の学問領域から光を当てることで新しい知見を得られます。こうした研究を続けた結果、私はある建築家であろうと考えています。既にある仮説のひとつで、新発見ではないのですが、私の論文でその説をさらに強力に補強できるのではと考えています。

巨大建築の圧倒的な魅力と歴史研究の喜び

フィレンツェに留学中、街の中で石造建築が歴史のモニュメントとして圧倒的な存在感を放ち、現代の人々のほうがよそ者みたいな気がしました。何世紀もの歴史の重みを擁し、美しい建築物を研究対象とできるのは大きな喜びです。また、同時に、当時の建築図面や書簡などの史料を読み込み、自説を組み立てていくという歴史研究の喜びも大きな魅力です。そのため現在も年1回は現地の図書館に籠もり、古文書と格闘しています。

フィレンツェを流れるアルノ川の
南側に建つパラッツォ・ピッティ。


※所属・職名等は取材時のものです。