慶應義塾大学の三田・矢上・日吉の3つのキャンパスは、いずれも遺跡の上に立地しています。特に日吉は、重要な遺跡が全体に拡がる場所で、戦前から全国的に有名でした。しかし、2004年に私が慶應に赴任した際、日吉の遺跡の遺存状態を誰も把握できていないことに気がついたのです。そこで遺跡の現況調査を始めた矢先、慶應義塾の創立150年が近づいてきました。記念事業としてさまざまな建物が建設されていくなか、キャンパスの至る所に依然として遺跡が残っていたことが判明しました。この数年で10回以上発掘調査を行い、それぞれ非常に重要な成果が上がっています。

意外なものも調査しました。蝮谷の新体育館の工事中に、アジア太平洋戦争時に造られた海軍の地下壕の入口が発見されたのです。これも重要な遺跡です。他に誰も担当する人がいないため(笑)、私が先頭に立って調査することになりました。

60数年前に造られた施設ですし、多くの記録があるだろうと考えるのが普通です。ところが、実際には記録はほとんどなく、今回の発掘で地下壕入口の特殊な構造が初めて明らかになりました。これは、まさに目から鱗。私の専門は弥生時代で、まったくの専門外なのですが、はからずも近現代史研究における考古学的手法の重要性を実感することになりました。

慶應にしかできない研究、
自分にしかできない研究

私の研究スタンスは、他の大学研究者と少し違うかも知れません。普通は、自分の興味関心に基づいて研究対象を選ぶでしょう。私の場合、自発的興味よりも、まず慶應ができること、慶應がやるべきこと、慶應にしかできないことを考え、そしてその中で自分に何ができるか、何をすべきか、自分にしかできないことは何かを考えて研究に取り組みます。これは、私がここに来る前まで博物館の学芸員だったことに関係しています。私は学部生の頃から弥生時代を研究していますが、博物館では縄文時代や古墳時代はもとより、時にはシルクロードまで幅広い研究が求められたからです。もちろん専門外でも成果が上がれば達成感があります。地下壕入口の保存が決まった時は本当に嬉しかったですね。

現在、私は、キャンパス内の遺跡の研究のほかに、民族学考古学研究室に保管されている、研究室の先輩たちが日本各地で調査・収集してきた考古学資料の整理・分析も進めています。これも慶應がやるべき、慶應にしかできない研究ですし、私がすべき、私にしかできない研究だと思って頑張っていくつもりです。

日吉台地下壕の入口は、
内部を爆風から守るために特殊な構造に。