「人間は生まれつき利己的なのか、それとも社会的なのか」「人間が利己的だとしたら、いかにして社会的になるのか」。近代イギリスのモラリストたちは、17世紀から19世紀まで、数世紀にわたって議論を交わしています。私は、議論を正確にたどりながら彼らとの対話を通して、この主題について研究しています。

近代イギリスのモラリストたちは、実にさまざまな考えを示し、活発な論争を行ってきました。マンデヴィルは「人間は利己的で構わない。利己的欲求が経済を発展させ、社会を豊かにする」と述べています。『マンデヴィルのパラドックス』と呼ばれ、後の思想家にとって、これをどう解くかが大きなテーマになりました。その一人、アダム・スミスは「利己的なことは必ずしも悪ではない」と肯定した上で、さらに「公正な社会では、利己的欲求が『見えざる手』となって、社会の幸福を増大させる」と主張しました。しかし、現実には、個人と社会の利益は一致しませんでした。その後、19世紀のモラリストたちは、「個人と社会の利益を、人の手でどう調和させるか」へと議論を進めています。

現代では、こうした主題での議論は、ほとんど見られず、当時の高いレベルの論争も知られていません。私は、モラリストたちが探究した主題は重要で、時代を超えて受け継がれるべきものだと思います。「人間は利己的である」と考えているとしても、「生まれつき利己的である」というのは、必ずしも真理ではありません。違う見方や意見があることを知れば、人間も少しは反省的になるのではないでしょうか。それによって、現代の経済活動も変わってくるのでは、というのが、私の願いであり、期待です。

なぜ答えの出ない問いを考えるのか

倫理学は、人や社会のあるべき姿を追究する学問です。単に社会のルールや規範を学ぶものではありません。もちろん、なかなか答えは得られません。では、なぜ答えの出ない問いを考え続けるのか。一つ言えるのは、非常に深遠な問題を考えることで、他の問題の深さと広さがわかります。自分が抱える問題を相対化でき、身を誤ることがなくなります。

人生について考えることが学問になる。私は、そのことを高校の時に知り、驚きと同時に喜びを覚えました。人間や社会の理念や理想をつきつめて考えたい。そういう方は、ぜひ倫理学を学んでください。

倫理学を研究して
個々のテーマに取り組んでいる柘植ゼミの学生たち。